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五輪の狭間で揺れ動いた先駆者。
スケートボーダー瀬尻稜とは?
text by
吉田佳央Yoshio Yoshida
photograph byYoshio Yoshida
posted2020/06/05 11:00
国内で無敗を継続していた2011年。優勝が決まりホッとした表情を浮かべる瀬尻稜。
時代の変化を大きく感じた出来事とは?
「実は去年『DEW TOUR(五輪予選にもなっている世界最高峰のコンテストのひとつ)』に出たんですけど、自分だけオリンピックの強化指定選手じゃなかったんですよ。個人で出場資格をとって単独で行ってたんですけど、他の日本人選手は皆オリンピックチームで来ていました。
彼らは会場のスケートパークからホテルに移動するにも協会のレンタカーがあるから行きたいところに行けるし、宿には日本食をつくってくれる人がいてという感じでした。でも自分は1人だったからコテージみたいなところをとって、移動もスケートボードでっていう感じだったんです。その時にすごくスケートボードを取り巻く時代の変化を感じましたね。もちろんまだ大半が未成年だからというのもあると思いますけど、そういう部分でも他のメジャースポーツに近づいている感覚はあります」
「本当にやりたいスケートボードを見つけてほしい」
――それは長年海外で戦ってきたからこそ感じられることですね。では今と昔のコンテストシーンの違いはなんだと思いますか?
「昔はいい意味でハチャメチャでした。日本や海外に限らず、コミカルな選手もすごく多くて面白かった印象があります。今でも地方の規模が小さい大会とかはそういうのもありますが、すごくキッチリしたと思います。
皆がしっかり本番のために練習して、そこで難易度が高いトリックをメイク(成功)した人が勝つというか。こういうとスポーツの世界では当たり前だと思うかもしれないですが、スケートボードはもともとスポーツというよりも、遊びやストリートカルチャーから発展したものなので、自分が子供だった頃は、先ほども少し言いましたが場を盛り上げた人がそのまま勝っちゃうということもあったんです。でも今はジャッジングも問われてしまう時代になったので、そういう意味で大会がすごく厳しくなったなと思います。
もちろんその一番のきっかけはオリンピックです。それまではいろいろ曖昧な部分も多かったんですけど、オリンピック競技に決まってからは、この大会に勝ったらこれに出れるとか、ポイントはこうなるとかそういうのがすごくはっきりして、システム化が一段と加速したのが大きな特徴だと思いますね」
――では最後に、いろいろな時代のコンテストを経験してきて思う、今の気持ちを聞かせてください。
「僕はコンテストに出場してきて良かったなって思ってます。旅をしていろいろな人と出会って、コンテストから様々なことを学んできたので。それに今は僕が大会に出始めた頃には考えられないほどレベルが上がってるし、このままスケートがもっと盛り上がっていったらいいなって。
ただスケートボードってコンテストだけじゃない様々な魅力があるので、各々がスケートを続けていっていろいろな面白さに気づいて、最終的に自分が本当にやりたいって思うスケートボードを見つけながらやっていったらいいんじゃないかなって思います」