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五輪の狭間で揺れ動いた先駆者。
スケートボーダー瀬尻稜とは?
text by
吉田佳央Yoshio Yoshida
photograph byYoshio Yoshida
posted2020/06/05 11:00
国内で無敗を継続していた2011年。優勝が決まりホッとした表情を浮かべる瀬尻稜。
「あの頃はただ純粋に勝つことが嬉しかったですね」
「それでコンテストも結果は割と早く出るようになったんですけど、あの頃はオリンピックの話なんて欠片もなかったし、今とはジャッジのシステムも全然違っていて、良い意味で盛り上げた者勝ちみたいなところがありました。
当時の自分は数少ない子供だったし、小さいなりに一生懸命やっていた姿が目立って、“頑張ったで賞”みたいな形で余計に点数がプラスされていたところがあると思うんですよね(笑)。今のコンテストは子供ばかりだから、その中でスキルがある子が勝つと思いますけど、自分が出てた頃はコミュニティも小さかったし、すごくアットホームな感じでした。ただ、自分はそうした環境だったからこそ大会が好きになって、必死に練習できてスキルもどんどん上がっていったんですよね」
――それが史上最年少のプロ昇格、そして初優勝に繋がったんですね。
「あの時は全てがとんとん拍子でうまく進んでいったんです。地方大会を経て2005年、8歳の頃にAJSAの全日本アマチュア選手権で優勝、2006年にプロに昇格できただけではなく、もうその年の最終戦でプロでも勝つことができましたから。一生懸命やればいいことあるんだなと思って、あの頃はただただ純粋に勝つことが嬉しかったですね」
国内では3年以上無敗を継続。
――その後、2010年から国内ではずっと無敗でした。3年以上無敗を継続したのは、未だに誰も成し得ていない大記録です。
「ありがとうございます。でも、あの頃って実はかなりのプレッシャーを感じていたんです。勝ち始めの頃は純粋に嬉しかったんですけど、それが続くと、周りの空気が勝って当たり前になっているように感じちゃって。 それがどんどんプレッシャーとして自分にのしかかってきた時期でもありましたね。
ただ当時は勝つためにものすごく練習していたし、勝ちの流れも出来上がってたから、勝てるのが当たり前とは思っていなかったですけど、頑張れば勝てるなという感触はあったんです。だから勝つたびにホッと胸を撫で下ろすような気持ちでした」
――自分も喜ぶ様子より心底ホッとしている表情を浮かべている記憶の方が強いです。
「そうですよね。ただそこに関しては純粋にお父さんが怖かったというのが大きいかもしれないです。10代前半の頃の僕にとって父親の存在は本当に大きくて。大会で結果が出なかった時の帰りの車の空気がピリピリしてたこととか、嫌な記憶もあります(笑)。本来スケートボードはそういうものではないと思いますけど、当時の自分はそうなっていましたね。
子供の頃は楽しいスケートボードもありましたけど、それ以上にお父さんに怒られながらやって、やりたくない技とか怖い技もやれっていう感じでとことん突っ込んでいました。正直それが嫌になる時もありましたけど、その結果があの無敗記録に繋がったので、今となってはとても感謝しています」