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五輪の狭間で揺れ動いた先駆者。
スケートボーダー瀬尻稜とは?

posted2020/06/05 11:00

 
五輪の狭間で揺れ動いた先駆者。スケートボーダー瀬尻稜とは?<Number Web> photograph by Yoshio Yoshida

国内で無敗を継続していた2011年。優勝が決まりホッとした表情を浮かべる瀬尻稜。

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吉田佳央

吉田佳央Yoshio Yoshida

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Yoshio Yoshida

 日本人スケートボーダーが世界の舞台で活躍するようになって久しい。

 2016年に「X Games」のオースティン大会で女子パークの中村貴咲が日本人初となる優勝を飾ったことを皮切りに、翌年には堀米雄斗や西村碧莉といった選手が台頭しエースへと成長。さらに最近はそれに次ぐ世代も続々と頭角を現し、今や日本はアメリカ、ブラジルと並ぶ世界の3大列強と呼ばれるようになった。

 この要因には様々な事柄があげられるが、その大きな理由のひとつはスケートボードのファミリースポーツ化だろう。

 両親が子育ての一環として、少年サッカーや少年野球と同じようにスケートボードに取り組む姿を見ることが2010年代より急激に増加。同時に低年齢化も一段と加速した。そして2020年を迎えた今、世界ランキングに名を連ねている選手が、体力的に成熟した年齢を迎えた2010年代初頭の子供達なのである。

 幼少期から多くの同世代の仲間とコンテストでしのぎを削る環境が出来上がれば、確かに競技レベルの底上げにはなる。しかし、それだけで日本が何の積み上げもなくいきなり世界で優勝することは考えにくい。野球で多くの日本人がメジャーリーグで活躍できるようになった背景には野茂英雄の活躍があったのは間違いないし、サッカーで日本人がヨーロッパで認められたのも中田英寿のスクデット獲得が影響していたことに異論を挟むものはいないだろう。

 その観点から言えば、スケートボードにおいても、もちろん野茂や中田のように世界を舞台に孤軍奮闘して、前人未到の道を切り開いてきたパイオニアがいる。

 その選手が、瀬尻稜というスケートボーダーである。

大人に混じって結果を残した小学生時代。

 彼はスケートボードがファミリースポーツ化する以前の2000年代初頭から、父子鷹による徹底した英才教育を受けて育った、いわば最初の“アスリート”スケートボーダーであり、2010年代のスケートボード界に起こる新しい潮流を作り上げたと言っても過言ではない。

 そんな彼に、これまでの自身のキャリアを振り返ってもらった。

――コンテストには何歳頃から、どうやって出るようになりましたか?

「スケートボードは5歳から始めて、初めて大会に出たのが2003年、6歳で小学校1年生の時ですね。 AJSA(日本スケートボード協会)のアマチュアの大会でした。お父さんから大きい大会があるから出てみろよって」

――その頃って同世代はほとんどいなかったんじゃないですか?

「子供が出るというのが珍しい時代でしたからね。何人か年齢が近い人はいましたけど、それでも自分が一番下だったかな。今では当たり前になりましたけど、当時は自分みたいに親に放課後や週末にスケートパークまで連れて行ってもらって練習してる人はほとんどいませんでした。それより上の世代の人たちは、ある程度自ら動けるようになる中学生くらいから自分で始めた人達ばかりなんですよ」

【次ページ】 「あの頃はただ純粋に勝つことが嬉しかったですね」

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