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初のJ1に挑む大分MF野村直輝。
中断する今、考える「10番」の仕事。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

PROFILE

photograph byJ.LEAGUE

posted2020/05/10 08:00

初のJ1に挑む大分MF野村直輝。中断する今、考える「10番」の仕事。<Number Web> photograph by J.LEAGUE

今季から大分に移籍した野村直輝。開幕戦では途中出場ながら存在感を残した。

誰もいない夕方の練習場で。

「午後3時か4時くらいになると、選手やコーチングスタッフが帰るので、グラウンドはもちろんクラブハウスにも人がいなくなる。その時間帯を見計らってこっそり戻るんです。当時、僕と同じ境遇だった青木翔大(現・ザスパクサツ群馬)と2人でひたすらシュート練習や筋トレをやっていましたね」

 自らの処遇に耐えきれなくなったものの、サッカーに対する気持ちは失っていなかった。先輩やスタッフは、そんな不器用な姿を見ていたのだろう。だからこそ、あえて厳しい言葉を投げかけ、見捨てることをしなかったのだ。

 野村はそこから心を入れ替え、真摯にサッカーに取り組んだ。ベンチ外の時間は続いたが、隅っこで練習をさせられても、紅白戦に出られなくても、前向きな態度で努力し続けた。その結果、スタッフ陣の彼に対する評価は変わっていった。リーグ終盤には多くの出番が与えられ、2016年以降は不動の主軸にまで成長した。

「あの2年目が今につながっている。試合に出られない選手の気持ちを分かるようになった上で試合に出ると、責任感が全然違う。体を張ってゴールを守るとか、1点の重みはもちろん、サポーターやクラブを運営する人たちの顔が思い浮かぶようになり、『戦っているのは自分だけじゃない』と思いながらプレーできるようになったんです」

横浜FCを離れ、徳島へ移籍。

 押しも押されもせぬ攻撃の要に成長した野村は、2019年に大きな決断を下す。5年間在籍した横浜FCを離れ、同じJ2を戦う徳島ヴォルティスへ移籍した。

「酸いも甘いも、多くのことを教えて育ててくれた横浜FCに対する愛情と大きな恩義はあります。でも、プロサッカー選手という有限の価値の中で、いろんな経験をしたいと考えるようになったんです。なので'18年シーズンが始まる前に横浜FCでのラストシーズンを決めて、『必ずJ1に上げてから移籍する』と心に誓って臨みました。ですが、('18年は)プレーオフまでは進めたものの、自分の力不足もあって昇格できず、サポーターの皆さんには申し訳ない気持ちでいっぱいでした。ただ一方で(そんな覚悟で戦えたからこそ)横浜FCでやりきった思いもありました。

 いろいろなオファーをもらっていた中で、(移籍先を)徳島に決めたのは、攻撃的な選手としての価値をリカルド・ロドリゲス監督のサッカーの中で表現したいと思ったことが大きかった。それに自分が(徳島に)入ったら絶対に合うだろうなという確信もありました」

【次ページ】 昇格を逃した野村に届いたオファー。

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