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「もう辞めます」で叱られて……。
桃田賢斗が一番の武器に気づいた日。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byAFP/AFLO
posted2020/05/08 11:30
2014年12月のスーパーシリーズ・ファイナルズ3日目、トミー・スギアルト(インドネシア)を相手に粘り勝ちを果たした桃田。
「自分の中でバドミントンに対する気持ちが変わった」
モヤモヤをすべて振り払って迎えた'15年は、正月明けの始動時から練習内容や食生活をすべて一から見直して1年をスタートさせた。
「それまでの僕は、やりたくない練習はやらない、やりたい練習だけやるというタイプでした。いわばスキルだけでやってきたんです。
でも、それだけではダメだと気づいた。フィジカルがないと、球がどうしても軽くなってしまう。そう気づいてからは、嫌いだったウエイトトレーニングをしっかりやるようになり、適当に走るだけだったランニングにも自主的に取り組むようになりました。
自分の中でバドミントンに対する気持ちが変わったと感じました」
ジャンプアップの前には必ず一度沈み込んできた。
桃田は'15年の年明けから肉体改造に着手した。
有酸素運動で体脂肪を減らし、ウエイトトレーニングで筋肉をつけ、食生活でも嫌いな野菜を摂取するように変身した。
それが'15年4月のスーパーシリーズ(シンガポール)初優勝、6月のスーパーシリーズ・プレミア(インドネシア)初優勝、8月の世界選手権銅メダルにつながった。
そして、肉体改造開始から約1年後の'15年12月、桃田は前年と同じUAEのドバイで行なわれたスーパーシリーズ・ファイナルズで男子シングルスの日本人初優勝を遂げた。
それから4年以上の月日が流れた。リオデジャネイロ五輪出場は逃したが、'17年から今年1月までの快進撃は目を見張るばかりである。
今、新型コロナウィルス問題による外出自粛生活の中で桃田が発信するメッセージは、多くのメディアに取り上げられ、子供たちをはじめ多くの人々に力を与えている。
トレーニングもままならない状況は苦しいだろうが、再びコートに立って試合のできる日が来たときは、もっと輝く桃田を見られるのではないか。
ジャンプアップの前には必ず一度沈み込んできた彼だけに、期待が膨らむ。