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「もう辞めます」で叱られて……。
桃田賢斗が一番の武器に気づいた日。 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph byAFP/AFLO

posted2020/05/08 11:30

「もう辞めます」で叱られて……。桃田賢斗が一番の武器に気づいた日。<Number Web> photograph by AFP/AFLO

2014年12月のスーパーシリーズ・ファイナルズ3日目、トミー・スギアルト(インドネシア)を相手に粘り勝ちを果たした桃田。

「一流は負けた後に同じ失敗はしない」

「超一流になれば負けないかも知れないけれど、一流なら負けることもあるだろう。でも一流は負けた後に同じ失敗はしない。もう一度巻き返す力があるんだ。二流、三流はそこまでだが、お前は一流だ。負けを何かに変えろ」

 すると、それまでどんよりしていた桃田の目がパッと色味を帯びた。桃田は大切な何かに気づいていた。

「インドの選手に負けた試合は気合いも入らず、ただ淡々とやっているという感じでした。でも、『お前1人の責任じゃないんだぞ』と言われて、これではいけない、初心に返ろうと思ったんです」

翌日は別人のようなプレーを見せた。

 翌日の桃田は別人のようなプレーを見せた。

 当時世界ランク3位のヤン・ウ・ヨルゲンセン(デンマーク)と戦い、第1ゲームは20-22と競り負けたものの、第2ゲーム21-18、ファイナル21-12で逆転勝利を飾った。

 3日目にもインドネシアのトミー・スギアルトに23-21、7-21、21-15のファイナル勝ちを収めた。いずれも粘り強い勝ち方だった。

 得失点差で準決勝進出はかなわなかったが、終わってみれば社会人になったばかりの頃のような、やる気に満ちた表情を取り戻していた。

 うまくいけば良いが、ダメなときはダメという選手だった桃田が、ダメでも我慢できる選手へと変貌したのがこの大会だったのだ。

 この大会を機に桃田は一気に実力を伸ばしていった。

 元々センスも運動能力も抜群だったのだが、スイッチ一つでここまで変わるかというくらい変わった。UAEから帰国した翌週にあった日本リーグ(現S/Jリーグ)では内容も結果も良く、チームの全勝優勝に貢献して、最高殊勲選手に選出された。

【次ページ】 「自分の中でバドミントンに対する気持ちが変わった」

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