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男子バレー、16年ぶりの五輪切符。
北京へつながった大歓声と歓喜の輪。 

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市川忍

市川忍Shinobu Ichikawa

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photograph byToshiya Kondo

posted2020/05/03 19:00

男子バレー、16年ぶりの五輪切符。北京へつながった大歓声と歓喜の輪。<Number Web> photograph by Toshiya Kondo

北京五輪出場を決めたバレー男子日本代表。16年ぶりの快挙に東京体育館は歓喜に包まれた。

男子バレー復活を託された植田辰哉。

 2005年、「男子バレーの復活」という命題が植田辰哉監督に託された。学生時代やアンダーカテゴリーの代表時代から追っていた選手が多数、メンバーに選ばれたこともあり、筆者は以前にも増して試合や合宿に足を運ぶようになった。

「このチームはこれまでとは違うのではないか」

 そんな予感が芽生えたのがベスト8に進出した2006年の世界選手権。そして'07年のワールドカップでは世界王者・ブラジルから1セットを奪い、その後、日本の出場選手の記入ミスというアクシデントもあって敗れたものの、それまで全く歯が立たなかった強豪国を相手にしても、少しもひるまない選手の姿に頼もしさを感じた。

 とはいえ、オリンピックには16年間も出場していない。'08年のOQTも、まだ代表の強さに確信を持てなかった筆者は、大会中に幾度も諦めそうになった。

大逆転負けも「ショックはなかった」

 最初の壁は初戦だった。世界ランキングで常に上位にいたイタリアとの試合だった。第1セットを奪われた日本だったが続く第2セット、第3セットをいずれも30-28という大接戦で制し、第4セットも24-17とリードしてマッチポイントを迎える。このセットを奪えば、下馬評で日本を上回るイタリアに勝利できる。しかし、そこから思わぬ展開になる。

 日本は仕掛ける攻撃がことごとく決まらず、連続7失点。今でもバレーボールファンの間で「悪夢の7点差大逆転」と語り継がれる展開で第4セットを落とし、最終セットも奪われて初戦を黒星で終えた。

 やはり世界の壁は厚い。

 そんな風に肩を落としてミックスゾーンに向かったが、意外なほど選手の表情はさばさばとしていた。あとになってインタビューした選手のほぼすべてが「さほどショックではなかった」「すぐに気持ちを切り替えられた」と語った。それだけの根拠があったのだと今、振り返ると思える。

【次ページ】 最後まで下を向かない日本。

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