バレーボールPRESSBACK NUMBER
男子バレー、16年ぶりの五輪切符。
北京へつながった大歓声と歓喜の輪。
posted2020/05/03 19:00
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph by
Toshiya Kondo
2008年6月7日、男子バレーボール北京五輪世界最終予選兼アジア予選(以下、OQT)の日本vs.アルゼンチン戦。
日本はフルセットの末にアルゼンチンを破り、1992年のバルセロナ五輪以来、16年ぶりにオリンピック出場を決めた。最終セット、20-18までもつれた試合の最後、スパイクを決めたのは当時38歳のベテラン、荻野正二だった。
ブロックを大きく弾いたボールが床に落ちた瞬間、会場は天井を突き破るような大歓声に覆われた。あの歓声の大きさと観客の笑顔、そして涙を流して抱き合う選手たちの姿を、おそらく生涯忘れることはないだろう。
日本が敗れるシーンを何度も見てきた。
1997年からバレーボールの取材をするようになった。'72年のミュンヘン五輪で金メダルを獲得した男子バレーだったが、当時はすでにオリンピックから遠ざかっていた。翌'98年に日本で開催された世界選手権では、全日本男子は大会史上最低(当時)の15位に終わる。
本来のフィールドは野球で、まだバレーボールの記者になりたてだった筆者は戦略的な敗因は理解できなかったが、世界の強豪国は身長が高い上にテクニックも兼ね備え、加えて組織的にも鍛えられている印象を受けた。世界のトップに君臨するイタリアや旧ユーゴスラビア、ブラジルなどとの力の差には圧倒されるばかりだった。
その後も日本は国際大会でなかなか勝てなかった。ときにはアメリカとのテストマッチに片道3時間かけて向かったが、ストレートで完敗。試合時間たったの50分で帰途についたこともあった。ポルトガルまで取材に行ったシドニー五輪の予選でも敗れた。もちろん代表選手や監督は、必死に戦っていたのだと思う。誰も負けようと思って試合をしているわけではない。しかし、当時、国際大会で見せつけられるのは相手チームの強さばかりだった。
そうやって負ける試合ばかり目にしている間に、いつの間にか筆者には、リードを奪われると「今日も負けるのだろうなぁ」と、心の片隅であきらめる癖がついていた。