マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
ドラフト次第で人生が変わる若者。
大学の推薦は「春」の決断が必要。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byYuki Suenaga
posted2020/05/01 11:40
指名に選手の意志は反映されなくとも、ドラフト会議の主役はやはり選手であるはずだ。
「ドラフト」は、誰のためにあるか?
ちょっと考えた。
「ドラフト」とは、誰のためにあるものなのか?
プロ野球のためにも存するのだろうが、“主役”はむしろ指名される選手たちのほうであろう。
プロ野球組織のほうは、コロナの様子を見ながら日程と形態を模索していくわけだが、選手たちはそれぞれの一生がかかっている。
今のような「非常時」ほど、何を優先するのかが問われるが、ドラフトの場合、より優先されるのは「選手」であろう。
彼らは、ドラフトで指名されたその日に、自分の進路を決するわけじゃない。そこからさかのぼること半年前の、春のちょうど今ごろに、まず最初の「決断」をする。
不退転の「プロ一本」でいくのか、「進学・就職」なのか。進学・就職なら、「プロ待ち」はお願いできるのか、できないのか。
かつては、「ドラフトで指名されなかったらウチに」というプロ待ちがいくらでもあったと聞いているが、今は大学も社会人も「受け入れ人数」にカッチリとした枠があって、プロ待ちがなかなか難しくなっているのが実情だ。
選手も、大学や社会人も悩んでいる。
「5月に入ったらプロか大学か決めなくちゃいけないんですけど、ドラフトがあるのかないのか、どうなるかわからないので決められなくて……」
同じ戸惑いや迷い、悩みに悶々としている高校、大学の選手たちが、日本じゅうにたくさんいるはずだ。
同様の悩みは、受け入れる側の大学、社会人の現場にも少なからずあるはずだ。
だとすればプロ野球は、ドラフトについてもっとアマチュア野球界や選手に配慮があってよいのではないか。
そもそもは、プロ側の事情と都合で、1965年に設定された制度である。
ならば、いつも根底にアマチュア球児へのいたわりや気遣いがあってしかるべきで、とりわけ今季のような非常時なら、なおさらのことと考える。