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腐ったミカン騒動に加茂監督更迭。
W杯初出場をめぐる日本代表事件簿。 

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川端康生

川端康生Yasuo Kawabata

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photograph byKyodo News

posted2020/04/28 07:00

腐ったミカン騒動に加茂監督更迭。W杯初出場をめぐる日本代表事件簿。<Number Web> photograph by Kyodo News

日本代表監督をめぐって大きな議論を巻き起こした長沼健会長(当時、右)と加茂周監督。カザフスタン戦後に衝撃の更迭劇が起きた。

世界中を駆け巡った長沼会長。

 さらに言えば、ドラマはピッチの中だけで繰り広げられたわけではなかった。

 日本サッカーがプロリーグ(Jリーグ)構想と並行して目指してきた夢――「2002年ワールドカップ」の招致も、この時期最終局面を迎えていたのである。

 サポーターから<狼少年>と糾弾された長沼健会長は、この頃1年間に75万キロも機内の人となり、世界を行脚していた。地球を約19周である。そんなふうにして訴え続けた日本開催が、ルール無視の理不尽な幕切れ(開催地を決めるFIFA理事会の前日に、突然「日本と韓国の共同開催」と発表された)を迎えることになるのはアトランタ五輪と同じ年。マイアミで伊東輝悦が決勝ゴールを決める2か月前だった。

 チューリヒでその第一報を耳にしたとき、憤りに震えたのを覚えている。ドーハからジョホールバルまでは、スタジアムの外でも心揺さぶられる出来事が次々と起こり続けた時代でもあったのだ。

カズの4ゴールで幕を開けたが……。

 もちろんクライマックスはアジア最終予選だ。1997年の9月から11月までの2ヶ月半、毎週末続いたホーム&アウェイの一喜一憂。これはもうジェットコースターだったというしかない。

 初戦の国立競技場。試合はナイターだったが、午後にはもう長蛇の列ができていた。それも競技場の入場ゲートから並び始めた列が、千駄ヶ谷駅を越え、明治通りまで延びていたのだ。

 ドーハでの悔しさを4年間抱き続けた人がこんなにもいる。込み上げてくるものを抑えられない風景だった。

 スタンドに満ちていた空気も特別だった。盛り上がっている、とは少し違う。もっと切実な、願いや祈りのようなものがあの夜の国立にはあった。そしてカズのPKに始まり、6ゴールを奪って日本代表は好発進した。

 ところが3試合目の韓国戦、山口のループシュートで先制しながら、終了間際の連続失点で日本代表は逆転負け。ここから戦いは暗転する。

 カザフスタン、ウズベキスタンの中央アジア連戦で2引き分け。ロスタイムの失点で勝利を逃したカザフスタン戦後には、加茂監督がサポーターから唾を吐きかけられる事件も起きた。

【次ページ】 荒れたサポが加茂監督の顔に!

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