サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
腐ったミカン騒動に加茂監督更迭。
W杯初出場をめぐる日本代表事件簿。
text by
川端康生Yasuo Kawabata
photograph byKyodo News
posted2020/04/28 07:00
日本代表監督をめぐって大きな議論を巻き起こした長沼健会長(当時、右)と加茂周監督。カザフスタン戦後に衝撃の更迭劇が起きた。
荒れたサポが加茂監督の顔に!
あのとき僕は監督のそばにいたから一部始終を見ている。スタジアム出口で迎えの車を待っていた。周囲には20人くらいのサポーター。その中の1人が近づいてきて、加茂監督の顔に唾をかけた。
静かな事件だった。怒声が飛び交うわけでも、警備員が飛びかかるわけでもなく、1人の男がすっと近寄って、唾を吐きかけ、またすっと離れていった。それだけだった。
ただ、隣にいたから気付いたこともある。唾を吐きかけられた瞬間、加茂監督はその男に向かっていこうとしたのだ。でも堪(こら)えた。そして車が着くまでの数分、感情を押し殺したように無表情にその場に立ち尽くしていた。
それから4時間後、加茂監督は更迭される。
少し後になって僕は“だったらあの時、殴り合いでもさせてあげたかったな”と思った。とかく批判の的になることの多かった加茂監督だが、日本サッカー史に残る名監督の1人である。何より、あのとき若い男に立ち向かおうとしていた監督には男の意地のようなものが漲っていた。
どうせ解任されるのなら男を立てさせてあげたかった、そう思ったのだ。
岡田新監督の下でも苦しんだ。
そしてコーチから昇格した岡田武史新監督の下、日本代表は不死鳥のように蘇り……というストーリーでもドラマは十分成り立つと思うのだが、あの最終予選はそう安直には進まなかった。
続くウズベキスタン戦も引き分け。ただし「韓国戦が逆転負け、カザフスタン戦がロスタイムに追いつかれた引き分け、このウズベキスタン戦は終了間際に追いついての引き分け、と少しずつよくなっている」というようなことを初采配の後、岡田監督は言っていたのだが、日本に帰ったUAE戦でも先制しながら追いつかれて、またもやドロー。この時点で「1位抜け」はおろか、自力での「2位でプレーオフ進出」もなくなっていた。
もはやワールドカップは風前の灯火だった。