オリンピックへの道BACK NUMBER
笑顔、闘志、凍える記者にカイロ。
上村愛子がモーグル第一人者の理由。
posted2020/04/26 11:40
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Shino Seki
『Sports Graphic Number』創刊1000号を記念して、NumberWebでも「私にとっての1番」企画を掲載します。今回は長野五輪から5大会連続で五輪に出場し、その実力と笑顔でモーグルという競技を一躍有名にした上村愛子選手についてです。
これまで約四半世紀にわたって、スポーツ、そしてアスリートの取材を続けてきた。
その中に、忘れがたいアスリートがたくさんいる。
上村愛子も、その1人だ。
フリースタイルスキー・モーグルを牽引してきた第一人者である。
実績は数知れない。
2007-08シーズンのワールドカップでは日本選手初の総合優勝を果たし、2008-09シーズンの世界選手権ではこちらも日本選手初の2冠を達成。
オリンピックは初出場となった1998年の長野大会を皮切りに、2014年のソチまで5大会連続出場。しかも、長野の7位から、6、5、4、4位とすべて入賞を果たしている。
これら成績の一端だけ見ても、どれだけ長きにわたり、世界の上位を争う位置にいたかを知ることができる。そして上村の存在があって、モーグルという競技の認知度も高まった。それも功績の1つだ。
二重の期待のもとで挑んだ大会。
そうした長年の経歴を見れば、「不屈の闘志」という言葉も浮かんでくる。それもまた、上村の一面を指し示しているだろう。ただ、そこにあてはまらない面も見せてきた。
「地元の大会だから、とにかく出たかったです」
長野県白馬村でスキーに励んでいて、ただただ「地元で行われるオリンピックに出たい」という一心だった長野大会のあと、上村は、周囲の期待、そして自身による自分への期待とともに、オリンピックでのメダル獲得を目指し、進んでいった。
2002年のソルトレイクシティも、2006年のトリノも、2010年のバンクーバーも、そうした二重の期待のもとで挑んだ大会だった。