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笑顔、闘志、凍える記者にカイロ。
上村愛子がモーグル第一人者の理由。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byShino Seki

posted2020/04/26 11:40

笑顔、闘志、凍える記者にカイロ。上村愛子がモーグル第一人者の理由。<Number Web> photograph by Shino Seki

2014年3月27日、現役最後の試合となった全日本選手権の試合後、後輩達から胴上げをされる上村。

仲間に胴上げされるときも、ひたすら笑顔だった。

 その後、全選手が終了し、4位。5度目もメダルには届かなかった。でも表情はどこまでも晴れやかだった。

「これをしておけばよかった、というようなところは一切なかったです。バンクーバーやトリノもちょっとしたミスをしたり、少し体が後ろに下がって攻めきれない滑りをしていたと思いますが、ソチに関しては全部全力でできたので、満足度は高いです」

 その翌月の全日本選手権が現役生活最後の大会となった。優勝で有終の美を飾った上村に、「まだ行ける」「これからもエースだ」、そんな声が聞こえた。

 でも、当の本人は晴れやかだったし、仲間に胴上げされるときも、ひたすら笑顔だった。笑顔とともに終えた競技生活だった。

他者への気遣いを忘れぬ人。

 その軌跡を知らない人のためにも、駆け足で長い競技人生をたどった。

 あらためて今、思い起こされるのは、やりきった人ならではの充足感に満ちた表情だ。

 先にも記したように、現役である頃は、長い遠征を何度も挟み、オフシーズンもトレーニングに励む生活を十数年にわたり続けてきた。そこからくみ取れるのは、強靭な意志だ。

 一方で上村は、他者への気遣いを忘れぬ人であった。

 バンクーバー五輪後、休養の道を選んだ理由の1つをこう語っている。

「4回もオリンピックに出て、メダルを目指してやっていたけれど、夢をつかむことができなかった。自分の結果で周りの人たちもがっかりさせてしまっていると感じて」

 自身の感情とともに、周囲への思いがあった。

 メダルを期待されて臨んだトリノ五輪でそれがかなわなかった直後、当人も大きなショックはあっただろう。それでも取材する記者の1人がヒーターのない宿泊施設に泊まっていると聞けば、持参していたカイロをプレゼントしたのも、上村の性格を物語っている。

【次ページ】 置かれた立場から逃れようとしなかった。

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上村愛子

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