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笑顔、闘志、凍える記者にカイロ。
上村愛子がモーグル第一人者の理由。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byShino Seki

posted2020/04/26 11:40

笑顔、闘志、凍える記者にカイロ。上村愛子がモーグル第一人者の理由。<Number Web> photograph by Shino Seki

2014年3月27日、現役最後の試合となった全日本選手権の試合後、後輩達から胴上げをされる上村。

「私はなんで一段一段なんだろう」

 その都度、真摯な努力を重ねて臨んだ成果が、1つずつ順位を上げての入賞だった。

 ただ、メダルには届かなかった。

 2007-08シーズンのワールドカップ総合優勝、2008-09シーズンの世界選手権2冠を成し遂げたあと、2010年のバンクーバー大会では4位にとどまった。

「私はなんで一段一段なんだろう」

 バンクーバーで、涙ながらにこう語った。

 4大会連続での入賞、1つずつ順位をあげての成績は、十分、評価されてしかるべき成績だったが、メダルに届かなかった。だから、涙した。

「十数年続けることって、タフですよね」

 バンクーバーの試合直後、上村はつぶやいた。

引退するのではないか、とささやかれた。

 第一線で活動するということは、冬季の雪上合宿や大会の転戦ばかりではない。

 シーズンオフにもジムや陸上でのトレーニングがある。なによりも、競技のことを考え続ける日々が続く。精神的な強さが要求される。負荷は、限りなく大きい。

 そんな日々を過ごし、念願のメダルには届かなかった。バンクーバー五輪の翌シーズンにあたる2010-11シーズンを休養したのも無理はなかった。

 引退するのではないか、とささやかれたが、上村は2011年4月、復帰を発表する。

 その後、段階を踏んで5度目のオリンピックとなるソチ大会に出場。予選から計3本の滑りを経て、上位6名のみのスーパーファイナルに進出。ここで、会心の滑りを見せる。 

 滑りから、遠目にも意志が伝わってくるようだった。雑念もためらいもない、高い技術に裏付けられた滑りがあった。渾身の滑りと言ってよかった。得点が出るのを待たず、上村は涙を流した。

【次ページ】 仲間に胴上げされるときも、ひたすら笑顔だった。

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#上村愛子

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