フットボールの「機上の空論」BACK NUMBER
ラトビア1部コーチ中野遼太郎の見解。
成功する日本人選手の共通点って?
text by
中野遼太郎Ryotaro Nakano
photograph byRyotaro Nakano
posted2020/04/24 08:00
海外での現役生活で痛感したという「自己主張」の差。さまざまな国の人たちと接することで、言語の違いを改めて理解した。
相手の主張が座る椅子。
「人の話は最後まで聞け」というのも日本人が大切にしている習慣です。
しかし僕はあるとき、その「最後まで聞いているあいだ」に脳内で組み立てているのが、自分の主張をどう伝えるか、ではなく、相手は何を伝えたいのか、だということに気付きました。自分の脳内には、あらかじめ相手の主張が座る椅子が用意されていて、放っておくと「この発言の背景には何があるんだろう」という部分にまで思いを巡らせています。こうして頼まれてもいない配慮を重ねていくので、気付いた時には相手の問いに即座に「はい、いいえ」を表明することが難しくなっているのです。
これは日本語の「文末で意思表示をする」という文法にも由来していて、「私はこう思う、なぜなら」という順序の英語(を初めとする多くの外国語)に比べて、結論を述べるまでに寄り道するタイムラグが生まれてしまうのです。思考は使う言語の文法に依存するので、そう簡単に切り替えられるものではありません。
僕はこの、結論から始まる会話のリズムに慣れていないことを自覚しました。
最後まで聞こうよ、と思いながら、聞いているうちに両者の折衷案を探ってしまいます。そうすると彼らとの会話において総括のようなことしか言えなくなり、その時点では僕の返答は既にYESでもNOでもなく「YES寄りのNO」か「NO寄りのYES」という、極めて中途半端なものになっているのです。そこで少し、場の温度が下がります。僕は話を最後まで聞いて、相手の立場になって、効率よく進めたかっただけなのに。
これはかなり個人的な経験から持ってきているので、これを、日本人は、外国人は、と当てはめるつもりはありませんが、傾向としては共感を得るのではないかなと思っています。(この「傾向としては共感を得るのではないかな」という一文こそが、まさに断定を好まない日本語的な表現の1つですね)
苦手意識を持つ前に、違いを理解する
つまり僕が言いたいのは、前提として「会話における一手目が違う」ということです。
相手のダイレクトな主張に面食らったとしても、言い負かされたとしても、そこで劣等感や苦手意識を持つ必要はありません。
文頭の「メンタルが強い」に関してもそうですが、まずは文法構造的な違いや、相手の意向を「汲む」という独特な習慣、さらに相手を説得したいのか、状況を最適化したいのか、も踏まえて、単なる違いとして捉える視点が必要ということです。
そこからは、もちろんあなた自身が適応していかなければいけませんが、感情の表現方法を優劣で測ろうとすると息詰まっていく、それは僕自身が経験したことです。