マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
夏の甲子園に監督、選手たちは?
もし高校球児に選手会があったら。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byHideki Sugiyama
posted2020/04/25 08:00
選手たちに発言の機会があったら、彼らはどんな結論を出し、どんな発信をするのだろう。
もし高校球児に選手会があったら?
ふと浮かんだことがあった。
高校球児たちに、もしプロ野球にあるような「選手会」というものがあったら、このタイミングでどんなメッセージを発するのだろうか。
「大会が感染拡大の原因にならないように、僕たちはできるかぎりの気配りを実行しますので、なんとか夏の大会をスタートさせてください」
そんな内容になるのだろうか。
「僕たち全国の高校球児は世界の状況を僕たちなりに考え、討論した結果、夏の甲子園大会を辞退することに決しました」
もしかすると、そんな“結論”に達したりするのだろうか。
以前、何かのコラムで、
「高校野球やってる最終目的が『甲子園』なんて、小せぇ、小せぇ」
と口走って、私はずいぶんとあちこちから叱られたことがある。
もう一度同じことを言ったら、またきっと怒られるのだろう。
しかし、こういう人生の大ピンチにこそ「ヨイショ!」と歯を食いしばって踏みとどまれる強い心を養うために、野球やってるんじゃないのか。
こういう大ピンチにこそ、人と社会の役に立てる「大きなやつ」になるために、野球やってるんじゃないのか、と思うのだ。
2020年への答えを、各自が出すしかないのだ。
コロナとの闘いを「戦争」に喩える向きがあるが、本質においてそれは適当ではない。
戦争には、「負ける」という選択肢がある。参りました、もう勘弁してください……と降伏すれば、いったん闘いは終わる。しかし「コロナとの闘い」は、打ち勝つ以外に終止符の打ちようがない。それだけ、見えない敵との闘いは困難を極め、長丁場となろう。
50年、100年先の未来の人たちが振り返った時、「2020年」は、必ず歴史の一場面として語られるはずだ。
そういう年に私たちは遭遇し、こうして生きていると考えたい。
明治維新の「1868年」、終戦の「1945年」……同じか、もしかしたら、それ以上の重さの「2020年」を生きているのだ。
偶然にしてコロナと遭遇してしまった人間たちは、果たしてその「2020年」とどのようにして向き合い、どう生きたのか。
政治家だって、お医者さんだって、一般民衆だって、高校球児だって、私たちのひとりひとりが、その答えを自分で出していかなければならないのが“今”なのではないか。