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大黒将志の運命を変えた1ゴールと、
背番号「31番」掛布との思い出。
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byAsami Enomoto
posted2020/04/21 18:00
愛車のフェラーリに乗って。ガンバ大阪でキャリアをスタートさせ、フランス、イタリア、中国でもプレー。2018年にJ2栃木に加入。
岡田武史にも認めさせた力。
プロ21年のキャリアを振り返ると、緊急事態でチャンスをつかみ、道を切り拓いたことは一度や二度ではなかった。
2013年、札幌時代に指導を受けた岡田武史監督(現・FC今治オーナー)の誘いを受け、中国の杭州緑城へ移籍したときの記憶は鮮明に残っている。
ある練習試合の日だ。いつものように朝から1人で体調を確認し、しっかり体をほぐしていた。スタメンから外されるのは分かっていたが、先発と同じ準備をするのはルーティンの一つ。そして、迎えたトレーニングマッチ。開始3分で味方のFWがケガで退場し、すぐさまピッチへ入った。
「そのときも、点を取ったんですよ。さすがの岡田さんも『やりよるな』という感じで、信頼してくれるようになりました」
シュート練習はチーム最高のパサーと。
2016年、モンテディオ山形時代にも不測の事態で存在感をあらためて証明している。7月3日、レノファ山口戦。開始15分で負傷した先発の林陵平に代わって投入されると、前半だけで2ゴールをマークし、勝利に導いた。二度あることは三度ある。
入念な準備はプロの点取り屋として生きていく上で欠かせなかったが、それだけでゴールを量産できたわけではない。計12クラブを渡り歩き、J1で69得点を記録し、J2では史上初の100ゴールに到達。どのクラブでも、味方の癖をいち早くつかみ、点につながるパスを引き出してきた。
15年前に決めた運命のゴールも、事前のキャンプで福西崇史のプレーをよく観察していたからこそ、咄嗟のラストパスを予測できたのだ。そして、年齢を重ねるたびにフィニッシュの技術を向上させたことも大きい。
居残り練習ではただひたすらシュートを打ち込むのではなく、「こいつしかおらん」と見込んだチーム屈指のパサーにボール出しを頼んだ。
「映像を見せながら、この場面では、ここにボールを止めて、このタイミングで出してほしいって。そうしたら、俺が一発で裏を取るからと。試合前のホテルの部屋、練習終わりのクラブハウスでも、何度も何度も言いました。パサーの質次第で点を多く取れるかどうか決まると言ってもいいので。ほんま、それくらい重要なんです」