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大黒将志の運命を変えた1ゴールと、
背番号「31番」掛布との思い出。
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byAsami Enomoto
posted2020/04/21 18:00
愛車のフェラーリに乗って。ガンバ大阪でキャリアをスタートさせ、フランス、イタリア、中国でもプレー。2018年にJ2栃木に加入。
31番は、憧れの掛布雅之の番号。
中国から帰国して1年目の2014年。京都時代のことはよく覚えている。工藤浩平(現・ジェフユナイテッド千葉)に毎日のようにシュート練習に付き合ってもらい、J2で初めて得点王を獲得。思い入れの深い31番を背負い、地元の関西で大暴れした。A代表に初めて追加招集されたときの背番号と同じである。
「31番は昔から好きな番号。あの代表でたまたま付けたときに『掛布やん』と率直な感想を口にしたら、そのままスポーツ新聞の見出しになったんですよ」
大阪育ちの大黒は、根っからの阪神ファン。「31番」といえば、ミスタータイガースなのだ。まだ幼い頃、父親に付き添ってもらい、掛布雅之さんの自宅前で朝7時から色紙を持って出待ちしたこともあるほど。当時の記憶をたどると、思わず苦笑が漏れた。
「目の前で『サインをください』と言ったものの、『ペンは?』と言われたときに、はっと気がついたんです。忘れたわって。そのとき、僕はあの掛布さんに向かって、『家からペンを持ってきてください』と頼んだんです。僕も子どもやったから。
まあ、断られましたけど、すぐに引き下がらずに粘りました。さすがに親父に『今度にしろ』と言われて……いま考えれば、当たり前ですよね。早朝から自宅に押しかけて、ペンも持ってこずにサインをくださいって、それはアカンやろ」
後日、掛布さんが経営するお好み焼屋の近くで待ち伏せし、念願だった31番のサインを手に入れた。大きな道路をはさんだ歩道から「おっちゃん、サインして」と大声で呼び止めたのは、懐かしい思い出である。
掛布に直接お礼を言うこともできた。
無鉄砲な小さな虎キチはその後、サッカーで類まれな才能を発揮し、大きな成功をつかんだ。高級スポーツカーのフェラーリを3台乗り継ぎ、30代後半を迎えたある日、恩師の元日本代表FW釜本邦茂さんが主催するゴルフコンペに呼ばれて、掛布さんと再会した。幼少期にもらったサインのお礼を直接伝え、当時の非礼も詫びたという。
「あのときはペンを取りに入ってほしいと頼んで。すいませんでしたって。向こうは覚えていなくて、逆に謝られました。掛布さんはええ人でした」
大黒の半生を振り返れば、思わぬところで点と点が結びついていく。今年5月で40歳を迎えるが、コンディションはすこぶるいい。新型コロナウイルスの感染が拡大するなか、自主トレーニングを続けており、ゴールへの意欲も一向に衰えていない。不惑のストライカーが紡ぐ物語には、まだまだ続きがある。