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日本で独特な“ドリブル塾”議論と、
欧州の育成現場が大事にするもの。
posted2020/04/19 15:00
text by
中野吉之伴Kichinosuke Nakano
photograph by
Getty Images
日本にはたくさんのスクールや塾がある。集中的に専門性高く取り組むことで"個"のレベルが上がるというのが、もっぱらの謳い文句だ。
偏ったやり方で子どもたちの自主性を潰すことなく、長い目で見てじっくり人としての成長にもしっかりフォーカスして、優れた仕事をしているスクールや塾もある。一方で、そのあたりをおざなりにして、単発的、短期的な成果ばかりを追い求めているスクールも少なからずあるのが実情だろう。
スポーツも同様。サッカーでいえば「ドリブルスクール」「ドリブル塾」を立ち上げる人は非常に多く、この是非を問うディスカッションがSNS上では常に起こっている。
「ドリブルという、いち技術だけを教えるスクールは意味がない」
「いや、ドリブルだけを教えるわけがない。専門的に取り組んでいる指導者だぞ」
ドリブル塾だからといって指導者も子どもたちもその親も、ただドリブルだけをすることを望んでいるわけがない、と思いたい。だが、実際に「ドリブルだけ」をやっているスクールや塾は相当数あるし、結果として試合のどんな局面であってもドリブルしたがる子どもがいるのは確かだ。
ドリブルに気持ちが行き過ぎていて。
僕も、ドイツから一時帰国した際には全国各地でサッカークリニックを開いている。だがドリブルすることに気持ちが行き過ぎて、それ以外のプレーへの注意が散漫になっている子を結構見かける。
試合の状況に関係なく、ボールを持ったらまずドリブルを始めてしまう。
サッカーでドリブルばかりする子が多いと困るのは、なぜだろうか?
それは「せっかくいいタイミングでスペースに走り込んでいるのに、ボールばっかり見ているからパスが出てこない」とか、「自分で相手が多い場所へドリブルで持ち込んで取られているのに、パスの出しどころがないと周りのせいにする」とか、チームとしてのリズムからずれてしまうからだ。
僕もそういう選手とプレーをした経験があるので、その気持ちもわかる。
そうした苦い経験をしたことがある人なら、ドリブル塾やドリブルスクールは“ドリブル固執選手”を輩出するだけだから、そんなことはしないでくれと思うのだろう。