欧州サッカーPRESSBACK NUMBER
ルイ・コスタにフィーゴ、ロナウド。
ひ弱なポルトガルが変貌した激闘。
posted2020/04/19 08:00
text by
吉田治良Jiro Yoshida
photograph by
Getty Images
16年前、EURO2004の舞台はポルトガルだった。
取材に行くべきか、少し悩んだのには理由が3つある。
当時、サッカー専門誌の編集部にいた僕は、'98年 のフランスW杯、オランダとベルギーで共同開催されたEURO2000、そして'02年の日韓W杯と、2年おきに行われるサッカーのビッグトーナメントを立て続けに取材させてもらっていた。デスク業務も増えていたし、ちょっと偉そうに言えば、そろそろ後輩たちに経験を積ませるべきではないかと、そんな想いがどこかにあった。
あとの2つは個人的な理由。まだ1歳半でかわいい盛りの娘に顔を忘れられてしまうのではないかという、その娘が高3になった今では信じがたい恐怖心が1つ。そして、当時病床にいた父の存在も気がかりだった。
それでも、4年前の取材ですっかりEUROの楽しさを知ってしまった僕は、編集業務を後輩たちに、娘と父を家族に託して、ユーラシア大陸最西端の国に向かった。
どこまでも高い紺碧の空、射るような日差しを跳ね返す白い砂浜、リスボンの石畳を走る黄色い胴体のトラム、急斜面を埋め尽くすオレンジ色の屋根、漆黒に浮かび上がった銀色のエスタディオ・ド・ドラゴン。さまざまな色彩に導かれて、昔の日記を開くようにあの夏の記憶が引っ張り出されていく。
ブラガで口にした「リマォ~ン」。
思い出深いのは、最初の拠点とした北部の街、ブラガだ。宿は郊外の小高い丘の上にあるキリスト教の聖地『ボン・ジェズス』のすぐそばにあって、教会の鐘の音と小鳥のさえずりを聞きながら目覚める朝は、信仰心とは無縁の僕を少しだけ厳かな気持ちにさせた。
毎日が宿とスタジアムの往復で、食生活は充実していたとは言いがたかったけれど、滞在中にできたお気に入りが、「シャー・デ・リマォン」。要するにレモンティーだ。
ただ、紅茶にレモンスライスが添えられているわけではなく、注文するとレモンの皮がどっさり入ったティーポットが運ばれてきて、これをカップに注ぎながら飲むのだ。「リマォ~ン」の発音が完璧になるくらい、この味の虜になってしまった。