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中村俊輔はレッジョで逞しくなった。
セルティックの英雄となる男の秘話。 

text by

弓削高志

弓削高志Takashi Yuge

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photograph byNaoya Sanuki

posted2020/04/11 20:00

中村俊輔はレッジョで逞しくなった。セルティックの英雄となる男の秘話。<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

日韓W杯落選後のセリエA挑戦。レッジーナで中村俊輔はプロサッカー選手として逞しくなった。

2007年春、CLミラン戦の記憶。

 2007年の春、日本人として初めてCL決勝トーナメントに駒を進めた俊輔は、1回戦で当時欧州最強チームのひとつだったACミランと対戦した。グラスゴーでの1stレグは0-0に終わり、ミラノでの2ndレグは“決戦”だった。

 3月7日、試合当日のミラノは朝から音もなく雨が降っていた。

 サン・シーロのプレスルームはこの試合のためだけに日本から駆けつけた記者やカメラマンで溢れ返り、記者席はいつにも増してぎゅうぎゅう詰めだった。

 僕にあてがわれた席はすぐ後ろにTV中継カメラが居並ぶ最上段にあり、左隣は中東アル・ジャジーラの記者。右隣には、なぜか地元ミラノ警察の中年警官がいかつい制服姿のまま役得とばかりに居座り、最後まで試合を堪能していた。

 守備に徹することを選択したセルティックの思惑通り消耗戦となったゲームは、0-0のまま90分間が終わり、延長戦に突入した。

 PK戦にさえ持ちこめれば――。セルティック・ファンや日本の報道陣の淡い期待を打ち砕いたのは、ミランMFカカだった。

 当時24歳だったカカは延長前半3分、センターサークル付近でボールを持つや否や、猛然と加速を始めた。90分フル出場した直後とは信じられないほど滑らかで速いタッチ、爆発的な推進力で一歩ごとにギアを上げながらセルティック・ゴールへ迫る。

 あ、あ、と観る者全員が短く呻く間に、彼の左足から放たれたボールはセルティックGKボルツの股の間を鋭く射抜いていた。

 あまりにも鮮烈で、あまりにも残酷なゴールによって、俊輔のCL準々決勝進出の夢は潰えた。

ベルルスコーニとガッチリ握手。

 彼は前月下旬の国内カップ戦で左手甲を骨折し、完治しないままミラン戦に臨んでいた。接触プレーに顔をしかめながらクロスやFKを放ち、走り抜いて105分、延長後半開始と同時にベンチへ下がった。

 試合翌日の『東京スポーツ』は1面で「延長死闘 俊輔力尽く」と大きく報じた。当時、CS放送はあまり普及しておらず、当然動画配信もなかったから、現地時間水曜夜の試合レポートを日本で一番早く読めたのは、木曜日夕刊の東スポだった。

 東京のデスクは「胸を張っていい」という俊輔の談話をいつものように囲み記事できちんと扱ってくれ、「勝ち抜けに感動したミランの帝王ベルルスコーニ元首相が、試合後のミックスゾーンで見かけた俊輔になぜか近寄り満面の笑みでガッチリ握手を交わした」という小ネタまで丁寧に報道してくれた。

 日本から来た記者たちは、CLの試合直後だというのにどうしても代表のことを俊輔に聞きたがった。

 彼にとって日本代表がどれほど大事なのかは言わずもがなだった。しかし、そのときばかりは俊輔も「代表? それより日曜のレンジャーズ戦でしょ」と斬って捨てた。

 グラスゴー・ダービーの熱さには、イタリアにおけるダービーと一味違う狂気がある。セルティックの一員として発した言葉に、そのとき彼が抱えていた不断の覚悟を垣間見た気がした。

【次ページ】 ドローンの空中カメラのように。

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