セリエA ダイレクト・レポートBACK NUMBER
中村俊輔はレッジョで逞しくなった。
セルティックの英雄となる男の秘話。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byNaoya Sanuki
posted2020/04/11 20:00
日韓W杯落選後のセリエA挑戦。レッジーナで中村俊輔はプロサッカー選手として逞しくなった。
「うわー、レッジョから来たの?」
「うわっ、弓削さん。何でこんなところにいるの!?」
ランニングしていた俊輔が一瞬、足を止めて僕の顔をしげしげと見て笑い出した。
“こんなところ”とは、ウクライナの東端に近い町ドネツクだ。俊輔のセルティックは、2007-08シーズンのCLグループリーグでシャフタール・ドネツクと同組になり、ウクライナ遠征での開幕カードに臨んでいた。
俊輔がスコットランドへ渡った後も、僕は幸いにも『東スポ』の俊輔番を任されて、グラスゴーだけでなく欧州中を飛び回っていた。
ローマやロンドン経由でグラスゴーにもちょくちょく通っていることは向こうも気づいていたと思うが、地球儀の上で南に下ったらシリアやレバノンに到達する欧州の果て、辺境の地ドネツクで見知った顔に出くわすとは、さすがの俊輔にとっても想定外だったのだろう。
ソ連の社会主義時代に建てられたというRSCオリンピスキー・スタジアムでの前日練習を見に行ったら、グラウンドに入ることができて、1人でランニング中の俊輔が偶然通りかかった。邪魔しては悪いと思いつつイタリア時代のように「チャオ!」と声をかけたら、彼は目を丸くして驚いていた。
「うわー、レッジョからわざわざ来たの?」
「そう、わざわざ来たよ!」
再び走り出した彼と20mほど併走しながら短いやり取りを交わし、「明日頑張ってよ、レッジョの人たちも皆テレビで見てるよ」と励まして、遠ざかる背中を見送った。
伝説のマンU戦、直接FKを見たけど。
翌日、セルティックは前半8分までに2失点して、いいところなく開幕戦を落とした。試合後の俊輔は「はぁ~っ」と大きな溜息をつき、「左足痛い」と愚痴ったもののスポーツ紙向けとしては最高の締めコメントを残してくれた。
「それにしてもさ、シャフタールってブラジル人選手多すぎない? ウクライナのチームじゃないよ、反則だよ」
セルティック時代の俊輔と言えば、もはや伝説となっているCLマンチェスター・ユナイテッド戦での2本のFKだ。2本とも現地で見たし、あのとき立った鳥肌の強烈さも忘れていない。
ただ、僕は俊輔が勝った試合よりも、彼が負けた試合の後に何度も見せてきた表情の方を強く覚えている。