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協会もレアルも「困ったらイエロ」。
“銀河系”を支えた名DFの献身と情熱。
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph byFirto Foto/Getty Images
posted2020/04/13 11:30
フィーゴ(中)らスターを揃えた“銀河系軍団”レアル・マドリーを牽引したイエロ(左)。マケレレと共に、攻撃編重のチームを支えた。
スターと生え抜きの橋渡し役。
セルヒオ・ラモス、ピケやプジョルであれ、イエロと同じ年齢、守備陣でチームをまとめ、同様のパフォーマンスを披露することは果たしてできたであろうか。スペースが空きスカスカとなった守備ブロックを突破され、頭を垂れるイエロの何とも言えない表情が記憶に残っている。
結果的にリーガ・エスパニョーラを制するが、仮にイエロとマケレレが不在であれば優勝はなかったのではないか。それは、2人がクラブを去った翌シーズンにリーガ4位で終わっていることからも、想像に難くない。
また、新加入のスター選手達と、下部組織の生え抜きの選手たちの橋渡し役となったのもイエロだった。毎ゲーム綱渡りのようなハラハラした試合展開も確かにレアルの魅力であったが、およそ現代では批判が殺到しそうなチーム編成ともいえた。そんなスーパースター集団の中でも、最終ラインからチームを鼓舞し、どんな選手であれ試合となると活を入れられる唯一の存在だった。
権力者を前にしても意見を曲げない。
主将としてチームを憂い守備陣の補強を進言し、待遇改善も訴えた。だが、クラブ最大権力者であるフロレンティーノ・ペレスにも意見を飛ばし度々衝突――。そんな性格が災いしてか、この功労者はあっさりとクラブを去ることになる。
本来であればイエロほどの実績とクラブへの貢献度があれば、クラブの幹部になっていてもなんら不思議はない。相手が権力者であれ自身の意見は曲げないというメンタリティとキャプテンシーの持ち主でもあった。退団時の衝突が尾を引いてか、ある意味レアルにおいては不遇ともいえる状況が現在まで続いている。
クラブでは多くのタイトルを獲得した一方、代表ではビッグタイトルに縁がなかった。彼の背中を見て育った選手達が中心となり、スペイン代表に黄金期をもたらすのはイエロの引退からもう少し後の話しだ。
36歳で初挑戦したプレミアリーグのボルトンではボランチとして一花咲かせ、チームをUEFAカップ出場に導いている。引く手数多の中でもあっさり引退し、民間企業で働いたところも“らしさ”を感じさせるエピソードだ。
そして、'07年にスペインサッカー協会初のSDとなり、'08年のユーロ、'10年W杯のタイトルを獲得したスペイン代表を陰ながら支えた。その後は、生まれ故郷のマラガのGMに就任するが、クラブの怠慢な資金繰りを理由に「居心地が良くなかった」と1年で退任している。その後はレアルの下部組織に籍を置き、'17年からはスペイン代表のSDに再就任。'18年W杯では、大会直前に解任されたフレン・ロペテギの“代理監督”として代表の指揮を執った姿が記憶に新しい。