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カズがW杯予選に武者震いした日。
福田正博に届いた「来い!」の声。
posted2020/04/08 11:50
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph by
AFLO
日本サッカーの年表に、4月8日に紐づいた記述はない。5月15日と言えばJリーグ開幕、10月28日ならドーハの悲劇といったように、誰もが記憶に刻む出来事があったとは言えない1日である。
しかしカズこと三浦知良のキャリアを辿ると、4月8日が意味を持ってくる。自身初となるW杯予選に出場したのが、1993年のこの日だったのだ。
翌年のアメリカW杯出場をかけたアジア1次予選は、日本、UAE、タイ、バングラデシュ、スリランカの5カ国が同グループとなり、日本とUAEで一度ずつ対戦するダブルセントラル方式で行われた。’90年のイタリアW杯出場のUAEと、’92年アジアカップ優勝の日本が、最終予選に進出できる首位を争うと見られていた。
4月8日は予選の第1戦だった。対戦相手はタイである。
現在の3分の1にあたる8カ国参加だった’92年のアジアカップで、タイは韓国を破って決勝大会に進出している。このグループではUAEに次ぐ難敵だ。“タイのジーコ”と呼ばれるストライカーのキャティサック・セーナームアンらの若手が台頭しており、33歳のピヤポン・ピウオンもメンバー入りしていた。ピヤポンは’84年4月のロス五輪アジア・オセアニア最終予選で、日本相手にハットトリックを達成したタイの伝説的FWである。
‘84年の日本はタイ戦の黒星スタートでリズムを失い、4連敗でロス五輪出場を逃した。ピヤポンという名前は、9年前の忌まわしい記憶を呼び起こすものでもあった。
松永、都並、柱谷、堀池、井原、吉田。
神戸ユニバー記念競技場は、ひんやりとした空気に包まれていた。4月上旬にしては肌寒い夜である。日本の選手たちは、全員が長袖のユニフォームを着る。
オランダ人のハンス・オフトが率いる日本のスタメンでは、GK松永成立、DF都並敏史、柱谷哲二、堀池巧、井原正巳、MF吉田光範がW杯予選を知る選手たちだ。W杯予選は初めてとなるカズ、ラモス瑠偉、福田正博も、アジア大会やアジアカップを戦ってきた。