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なでしこ、イニエスタ、スーケル。
困難の先にスポーツの日常はある。
text by
吉田治良Jiro Yoshida
photograph byGetty Images
posted2020/03/19 11:40
2011年、東日本大震災から数カ月後のW杯制覇。当時の日本を文字通り明るく照らしたのは、なでしこジャパンだった。
今宮純さんが絞り出した言葉。
スポーツは震災にもウイルスにも屈しない。そして、ときに不幸な死でさえも受け止め、立ち止まることはなかった。
記憶に深く刻まれているのは、1994年5月、F1サンマリノGPで起こったアイルトン・セナの死亡事故だ。今年1月に亡くなったモータースポーツジャーナリスト、今宮純さんがイモラ・サーキットからの生中継で、嗚咽をこらえながら絞り出した言葉が忘れられない。
「こういう事実はですね……とくにモータースポーツに働いてきている者の1人とすれば、やはり受け止めなくてはいけない。来来週はモナコグランプリですが……、セナはいませんが……、F1は続いていくわけです」
セルヒオ・ラモス、イニエスタは。
マルク・ビビアン・フォエ、アントニオ・プエルタ、ダニエル・ハルケ、松田直樹……。サッカー界にも悲しい別れはいくつもあった。
2007年8月にピッチで倒れ、そのまま帰らぬ人となったプエルタ。彼とセビージャの下部組織時代からチームメイトだったセルヒオ・ラモス(現レアル・マドリー)は、その親友がスペイン代表でつけていた背番号15のユニフォームを受け継ぎ、翌年のEURO2008を制した。
歓喜の赤い輪の中で、S・ラモスだけがプエルタの顔写真をプリントした白いシャツをまとっていたのが印象に残っている。
2009年8月、急性心筋梗塞によって26歳の若さで亡くなったエスパニョールのキャプテン、ハルケ。ユース時代から親しい間柄だったアンドレス・イニエスタ(現ヴィッセル神戸)は、翌年の南アフリカW杯の決勝で、スペインを初の世界王者に導くゴールを叩き込むと、ユニフォームを脱いで疾走する。アンダーシャツにはこう書かれていた。
「DANI JARQUE SIEMPRE CON NOSOTROS(ダニ・ハルケ、僕たちは永遠に一緒だ)」