フットボールの「機上の空論」BACK NUMBER
ラトビアでサッカー指導者を志す。
ELに辿り着いた男のシンプルな選択。
posted2020/03/18 20:00
text by
中野遼太郎Ryotaro Nakano
photograph by
Ryotaro Nakano
はじめまして。中野遼太郎です。
誰やねん、という気持ちは分かりますが、グッと堪えて読み進めてください。名も知らぬ青年の記事に心を揺さぶられてからが人生です。
皆さんは1988年度生まれのサッカー選手だと、誰を思い浮かべるでしょうか。
香川真司、吉田麻也、乾貴士、権田修一、森本貴幸……。
実は、僕も学生時代までは、そんな「将来有望な」選手の中の1人でした。各年代で世代別代表に選出され、FC東京ユースでは10番でキャプテン、推薦入学した早稲田大学では1年生からスタメンでインカレ優勝。自分で経歴を書いていても「エリートだなぁ」と思います。しかしエリート層で育つことと、本当に一流選手になる事には大きな差があります。ひょんな理由から試合に全く絡めなくなった僕は、Jリーグのオファーが届くことなく大学卒業を迎えました。
素晴らしい指導者とチームメイトに恵まれて、いわば大きな船に乗ってぐいぐいと進んできた僕でしたが、一度座礁して上手くいかなくなると、自分では帆の張り方すら分からなかったのです。
4カ国、7クラブ。交渉はほとんど自分。
そこで考えを改め、「これからは自分で船を漕いでみよう」ということで、単身でドイツへと渡り、道場破りのような形で様々な国のテストを受けながら、ドイツ、ポーランド、タイ、ラトビアの7つのクラブで約10年間、選手としてプレーしました。
僕のプロサッカー選手としての道のりには、少し特殊なことが3つあります。
1つ目はJリーグを経由せずに海外のみで10年間プレーしたこと。2つ目はほとんどの移籍で代理人や仲介人を通さずに自分で契約交渉を行ったこと。
そして3つ目は、ラトビアという国で5年もサッカー選手を続けたこと。
ラトビア――。僕の知人のなかでも、正確な位置を答えられた人はただの1人もいませんので、先に説明させてください。
リトアニアの北、ベラルーシの北西、エストニアの南です。どうでしょうか。人は、分からないことを分からないもので説明されると、愛想笑いで去っていくということを僕はこの10年で学びました。