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ヤクルト黄金時代の愛弟子が語った
人格者のようで毒を秘めた野村克也。

posted2020/03/12 12:00

 
ヤクルト黄金時代の愛弟子が語った人格者のようで毒を秘めた野村克也。<Number Web> photograph by Kyodo News

現役時代の石井一久と、彼を見守る野村克也監督。毒舌と愛情、人間関係とはいかにも複雑なのだ。

text by

赤坂英一

赤坂英一Eiichi Akasaka

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Kyodo News

 今月12日発売の『Sports Graphic Number』999号は野村克也さんの追悼特集号となった。ヤクルト監督時代を支えた飯田哲也、宮本慎也、石井一久各氏にインタビューした拙文も掲載されている。

 野村さんは55歳になる1990年から采配を振るい、'98年に63歳で退任するまでに4度のリーグ優勝と3度の日本一を達成した。当時、私は20代後半から30代前半で、よく取材に足を運び、随分野球を勉強させてもらった記憶がある。いま改めて、あの黄金期に活躍した元主力選手たちの話に耳を傾けながら、ふとこんな疑問が脳裡をよぎった。

 他界してからのち、巷で語られているほど、ノムさんは人格者だったのだろうか?

 飯田氏と話していて、私は宮崎・西都キャンプでの名物メニュー「地獄の階段上り」を思い出した。ヤクルトが練習をしている西都原運動公園には「記紀の道」という散策路の途中に石の階段がある。野村さんは選手たちに、この200段以上の石段を20秒以内に駆け上がるというタイムトライアルを課していたのだ。

 この練習では誰も彼も駆け上がった直後に膝を突いて息を切らし、物を言うことができない。そばの草むらに這っていき、胃の中身を戻す選手も珍しくなかった。最後まで上りきれず、最上段の手前でバッタリうつ伏せに倒れてしまう選手もいたほどだ。

「あの階段上り、単純に面白かったし」

 インターネットが発達しておらず、地上波テレビのスポーツ番組が毎日キャンプ便りを放送していたこの時代、「地獄の階段上り」は格好のネタになった。その最中、野村監督は折り畳み椅子にドッカリと腰を据え、太い声で大笑いしながら眺めていたのである。

「どうした、もうおしまいか! 今時の選手は体力がないのう。もっと走れ、走れ!」

 そんな話になると、飯田氏は苦笑いを浮かべてこう指摘した。

「野村さんはね、選手が苦しんでる姿を見るのが大好きだったんですよ」

――えっ、でも、そうやって選手の能力を見極めていたんじゃないですか?

「いや、どうでしょう。みなさん(私や編集スタッフ)が他人の失敗談を好きなのと一緒じゃないかな。あの階段上り、単純に面白かったし、野村さんは必ず見にきてたから」

 笑いながらそう語った飯田氏は、この階段上りで最も速かった。リーグ優勝した'92年に盗塁王のタイトルを獲得し、通算234個の盗塁数を誇るヤクルトの1番打者。ただ単に速いだけでなく、ほとんど息を切らさず、表情ひとつ変わらない。ほかの選手が思わず、やっかみ半分でこう毒づいていたものだ。

「ふつうの顔して上がってくんな!」

【次ページ】 「これは造反や!」

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