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ヤクルト黄金時代の愛弟子が語った
人格者のようで毒を秘めた野村克也。 

text by

赤坂英一

赤坂英一Eiichi Akasaka

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photograph byKyodo News

posted2020/03/12 12:00

ヤクルト黄金時代の愛弟子が語った人格者のようで毒を秘めた野村克也。<Number Web> photograph by Kyodo News

現役時代の石井一久と、彼を見守る野村克也監督。毒舌と愛情、人間関係とはいかにも複雑なのだ。

「これは造反や!」

 飯田氏がまた、笑って振り返る。

「だって、設定タイム(20秒)を切らなきゃやり直しさせられますもん。そりゃ、いくらぼくだってキツいですよ」

 そう語った飯田氏には、野村さんに聞いておきたくて、とうとう聞かずじまいになってしまった質問があるという。これは私にとっても大変意外な話だった。飯田氏の野球人生を左右したその疑問とは何だったか、Numberの記事をぜひ読んでいただきたい。

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 さて、そんな西都キャンプのある日のこと、野村監督が階段上りを見に行くと、選手が誰もいない。たちまち不機嫌な顔になったノムさん、上水流洋トレーニングコーチに「休みにしました」と言われ、声を荒らげた。

「そんなこと、ワシは聞いとらんぞ! 監督への報告義務を怠った! これは造反や!」

「やめてください。新聞に書かれますよ!」

 上水流コーチはそう言って諌めていたが、その場にいた記者は誰も書かなかった。野村監督はふだんから毒のある発言が多かったので、われわれも「またか」と思ってしまい、笑って済ませたのだ。

毒舌の標的だった石井一久は。

 毒と言えば、野村さんは選手批判も凄まじかった。看過できないミスが出ると、「バカ」「頭が悪いんや」「何も考えとらん」などと、舌鋒鋭く選手をこき下ろしてやまない。

 とくに、何度もその標的にされていたのが、当時の左腕エース、石井一久氏(現楽天GM)である。われわれ記者の前ではいつも飄々とした態度で、ノムさんの数々の悪口も柳に風と受け流していたように見えた。が、内心ではさすがにカチンとくることもあったのではないか。

 ところが、石井氏の答えもまた、実に意外なものだった。自分はヤクルトの選手の中ではむしろ過保護に育てられた。怒られたことはあっても、怖いと思ったことは一度もない、というのだ。

「ぼくがドラフトにかかったとき('91年秋)は、社会人に即戦力投手がいました。ぼくは高校生だったけど、将来はいい投手になるというスカウトの話を聞いて、社会人ではなくぼくを取ろう、と決めたそうです」

 それは野村監督自身が優勝するためという以上に、ヤクルトの将来も考えた上での判断だった。そういう「野村さんの思い」を胸に秘めて投げ続けた石井氏は、優勝した'97年に野村監督を驚かせるような進言をしている。石井氏が何を言ったのか、これもNumberで読んでいただきたい。

【次ページ】 「人生とは」で始まったミーティング。

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