“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
川崎・登里享平に再び聞いてみた。
「もう、マンネリはないですか?」
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2020/03/04 19:00
Jリーグ開幕戦、左サイドで存在感を示した登里。あらゆるアタッカーの特徴を生かすプレーに注目したい。
自分を奮い立たせてくれるものとは。
「成長は感じています。でも、やっぱりチームにおいて絶対的ではないとずっと感じていた。居心地の良さにごまかされていたら自分の成長はないし、伸びる部分を見出せないと厳しいんじゃないかと。自分の価値が見出せない自分がいて、焦りというか、いろいろ思う部分が出てきたのが2018シーズンのことでした」
その年、登里はリーグ戦25試合に出場したが、うちスタメン出場は15試合。チームは2連覇を達成したが、葛藤していた立ち位置に変化はない。彼の頭に浮かんできたのは「移籍」の2文字だった。
「刺激を他所に探し続けていたのもあります。『何か自分を奮い立たせてくれるようなことはないのかな』と思っていた。移籍する選手、移籍してきた選手の話を聞いて、かなり感化されていた」
代理人とは何度も話をした。環境を変えないといけないのではないか、という強迫観念すらあった。
「今思うとかなり思い詰めている状態でした。『どう刺激を得たらいいんだろう?』と思い、何をしてもなかなか奮い立たない自分がいた。それやったら移籍が一番刺激になるのかな……と。このチームにしかいないからこうなってしまっているんやないかなと思っていました」
2019年春に語っていた言葉。
しかし、彼が下した決断は川崎での11年目を迎えることだった。クラブへの愛着は深かった。
「(葛藤がある中でも)やっぱり根はこのチームにずっといることができたら一番幸せなんだろうなという思いがあった」
そこで芽生えたのが、「残る覚悟」だ。結果次第ではフロンターレでの最後の1年になるかもしれないという思いであった。
「次の1年があるとは思っていません。勝負の1年。背水の陣で臨もうと思っています。大げさかも知れませんが、僕のサッカー人生の分かれ目となる1年になると思います」
これは、2019年の春に彼が言っていた言葉だ。そこには「長くいれる」という甘えは一切ない。
その決意の通り、登里は左サイドバックと左サイドハーフ、右サイドバックの3つのポジションをこなしながら、リーグ戦27試合に出場し、うち24試合にスタメン出場を果たした。この数字は2013年にマークした29試合スタメン出場のキャリアハイに次ぐ数字だった。