マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
知られざる野球技術のまさに宝庫。
社会人野球を生き抜いた男の打撃論。
posted2020/03/06 11:30
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Kyodo News
私は29の歳に、1年半ほど社会人野球・東芝野球部にお世話になったことがある。
どうしても野球に関わった仕事を! と、勤めていた会社を辞めはしたものの、自分の「野球」にたいした確信もなかったので、もう一度しっかり勉強しなければと考えていた。
当時、東芝野球部で外野手をしていた小貝匡輔という男がいて、彼と私は早稲田実業中学の頃、「黄金バッテリー」として結構鳴らしていた。
その昔なじみに、東芝の練習に通って勉強させてもらえないか……とダメモトで頼んでみたら、当時の東芝・前野和博監督に話を通してくれて、意外にも「おー、いいよ」とお許しをいただいたから驚いた。
そこから1年半、雨の日も雪の日も、鶴見の東芝グラウンドに通った。
選手たちと同じ「東芝オレンジ」のユニフォームでアップからクールダウンまで、ブルペンで投手陣のピッチングを受けながら、ケージの中でバッティングキャッチャーをしながら、およそ500日の間、野球の勉強に励んだものだ。
毎年恒例、四国・松山での春季キャンプ。
私がいまだに、こうした仕事を続けていられるのも、あの東芝野球部での“500日”があったおかげに他ならない。
練習参加の道をつけてくれた小貝匡輔君、了解してくださった前野監督はじめ、東芝野球部全体が、私の「恩人」となった。
ありがたいことに、そんなご縁が今も続いていて、毎年この時期になると、四国・松山の春季キャンプにおじゃまして、「補習授業」を受けさせていただいている。
シーズンになれば、プロ野球の公式戦もしばしば行われ、夏になれば高校野球でにぎわう「坊っちゃんスタジアム」。
広大な広さと整備された天然芝のグラウンドが、キャンプの舞台となる。