ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
橋本真也の『爆勝宣言』誕生秘話。
「ボンバイエを超える曲を作れ!」
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2020/02/18 08:00
若き日の闘魂三銃士。彼の入場テーマ曲を耳にすれば、当時の雄姿はすぐに蘇る。
猪木vs.アリ戦の最大の収穫。
一方、新日本プロレスでは1977年後半から、アントニオ猪木の入場時にのちの代名詞となる『炎のファイター INOKI BOM-BA-YE』が流されるようになる。この曲は、モハメド・アリの伝記映画『アリ・ザ・グレーテスト』の挿入曲として使われた『アリ・ボンバイエ』が原曲。
1976年6月26日、日本武道館で行われた猪木vs.アリの「格闘技世界一決定戦」以降、両者の間には金銭面を含めた様々な問題があったが、猪木のマネージャーだった新間寿が粘り強く交渉した結果、和解に持ち込むことに成功。その際、新間がアリのマネージャー、ハーバード・モハメッドから『アリ・ボンバイエ』の日本での販売許諾を取り付け、使用が可能になったと言われている。
プロレス史上最高のテーマ曲と言っても過言ではない『炎のファイター INOKI BOM-BA-YE』は、猪木vs.アリ戦がもたらした、最大の収穫のひとつなのだ。
レコード室にこもる破壊王。
1980年代までプロレスの入場テーマ曲は、既存の曲からその選手のイメージに合う曲を選んで使うというのが大半だった。それが変わってきたのは、時代が昭和から平成に変わった頃から。'80年代末にテレビ朝日『ワールドプロレスリング』の音響効果を担当していたミュージシャンの鈴木修に、新日本プロレスが選手のオリジナルテーマ曲制作を依頼。そうして作られた武藤敬司の『HOLD OUT』、蝶野正洋の『FANTASTIC CITY』、橋本真也『爆勝宣言』という入場テーマ曲が好評だったことで、定着したのだ。
僕は以前、作曲者の鈴木修にインタビュー。名曲『爆勝宣言』の制作秘話を聞いたことがあるので、ここで紹介しよう。
橋本真也は1989年に海外遠征から帰国。当初は、鈴木が既存の曲で橋本のイメージに合うものを選曲することになったという。その時の橋本とのやりとりを鈴木はこう語る。
「橋本さんは昔からテーマ曲にえらいこだわりを持っていて、海外から帰ってきたばかりの若手なのに、やたらと音楽のことに口を出してくるんですよ。僕が最初に選んだ曲に対して『イメージが違うんや!』って。彼が言うには『自分は将来、プロレス界を背負って立つ金の卵だ』と。『トップスターには、相応しい曲というものがある』ってことらしいんです」
なんとも破壊王らしい自意識過剰ぶりだ。結局、橋本は「越権行為だけど自分で選ばせてもらう!」と、テレビ朝日のレコード室にこもり、数時間後、「これこそが俺のイメージや!」と1枚のレコードを持って出てきたという。