ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
橋本真也の『爆勝宣言』誕生秘話。
「ボンバイエを超える曲を作れ!」
posted2020/02/18 08:00
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
AFLO
現在発売中の『Sports Graphic Number 997号』は、桑田佳祐さんが表紙で「響け! 音楽とスポーツ。」と題した特集が組まれている。
この中で僕も、4代目タイガーマスクが語るサザンオールスターズ愛と、棚橋弘至×獣神サンダー・ライガー対談の2つの記事を担当。棚橋×ライガー対談では、2人にプロレスの入場テーマ曲について、語り合ってもらった。
今やプロレスにおいて欠かせないものとなっている入場テーマ曲。各レスラーにとって入場は、試合と同等に近いほど重要であり、会場の盛り上がりを大きく左右する要素ともなっている。また、ファンにとっても入場曲への思い入れは深く、これまでプロレスの入場テーマ曲集のCDやレコードは数え切れないほど発売されている。
では、日本のプロレス界において、選手個人のために流す入場テーマ曲はいつ頃から定着したものなのだろうか。
テレビ放送を盛り上げるために。
一般的には、1977年2月に全日本プロレスに来日したミル・マスカラスが、イギリスのロックバンド、ジグソーの『スカイ・ハイ』に乗って登場し、人気が爆発したことがきっかけと言われているが、実際の“起源”はマスカラスからさらに2年半さかのぼる。
1974年9月、国際プロレスに来日した、スーパースター・ビリー・グラハムが『ジーザス・クライスト・スーパースター』という曲で入場したのが最初とされている。この時は、ちょうど東京12チャンネル(現・テレビ東京)でプロレスのテレビ放送が始まったタイミングであり、大物ビリー・グラハムの登場を、テレビ的に盛り上げるためだったと考えられている。
ただし、やはり日本に入場テーマ曲を定着させたのは、ミル・マスカラスの『スカイ・ハイ』だ。この曲は当時、日本テレビ『全日本プロレス中継』のディレクターだった梅垣進が、マスカラス来日前の“煽り映像”のBGMで流したところ、視聴者から「あれはなんという曲なのか?」という問い合わせが殺到。その反響を受けて、マスカラスの入場シーンでも流し始めたのがきっかけ。
この曲とともにマスカラスは再ブレイク。『スカイ・ハイ』という曲も、入場テーマ曲として使われる前は廃盤寸前だったが、ジャケットをマスカラスに差し替えて再発売すると、オリコン洋楽部門の売上トップにまでおどり出るほどの人気となった。
この『スカイ・ハイ』人気を皮切りに、梅垣はザ・ファンクスにクリエイションの『スピニング・トーホールド』、アブドーラ・ザ・ブッチャーにはピンク・フロイドの『吹けよ風、呼べよ嵐』などを次々と選曲。これらの曲は、今もレスラーのイメージに合った、最高の入場テーマ曲としてオールドファンに愛されている。