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西岡剛、中田翔、根尾昂の追想。
坂道を駆け抜けた大阪桐蔭の3年間。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byHideki Sugiyama
posted2020/02/09 11:30
2018年夏の甲子園決勝では金足農に13-2と勝利し、史上初2度目の春夏連覇を果たした。
赤ペンで書かれた「継続は力なり」。
2人のぶつかり合いは、ほとんどの場合、西岡の覚悟が試されるような罰則をもって決着した。鎌ひとつを渡され、外野スタンド全面の草を刈ったこともあった。その極めつけが坂ダッシュ100本だった。
皆が練習しているのを横目に、外野の向こうにある左中間からセンターにかけての斜面を「1本目ーっ!」と数えながら走る。
「僕は大体、『さんじゅう××本めーっ』とかごまかして、80本くらいで終わらせていました。でも、たまにバレるんですよ(笑)」
なんでこんなこと……と口を尖らせながらも走ったのは、なぜだろうか。
「喜怒哀楽をともにしてくれたんです。西谷さんは世界史の授業を担当していたのですが、たまに自習にすることがあって、その時、(立てた)教科書の裏で先生が居眠りしていました。本当に寝る間もなく動いていた人で、朝5時に僕の練習に付き合って、それから遠くまで自分の車で中学生をスカウトしに行って、午後の練習時間には戻ってくる。そういう背中を見ていたので……」
そして日々、西谷に提出し、戻ってくる野球ノートには、よく赤ペンでこう書かれていた。継続は力なり――。
「ノートの一番下に、よく書かれたなあ。同じことを本気で何回も何回も言ってくれた。真剣に僕と向き合ってくれたんです」
坂道を走らされた理由が、今ならわかる。
最後の夏。西岡たちは大阪を制し、甲子園切符をつかんだ。1つ上の中村剛也(西武)、岩田稔(阪神)を擁した世代が最強と言われながら敗れたのに、西谷から「最低だ」と言われたヤンチャ軍団が勝った。
「根性論で結果は出ません。ただ、やんちゃな集団が気合いを入れていっちょやったろかとなった時は、勝負どころでとてつもない破壊力を生むことがあるんです」
西谷は前年の部員不祥事の責任を取り、その年はコーチに降りていた。デコボコの自分たちを押さえつけて平らにならすのではなく、凹凸そのままに組み合ってくれた熱血漢へ、11年ぶりの甲子園は彼らなりの恩返しだったのかもしれない。
別れの卒業式。すでにロッテへの入団が決まり、関東での生活をスタートしていた西岡は髪を伸ばし茶色に染めて登校した。
「学校に行くのはもう卒業式の1日だけだし、まあいいかと。そしたら西谷さんに捕まって『坊主にして卒業式に出るか、式に出ず今すぐ帰るか、どっちかにしろ』と」
じゃあ帰ります、と西岡が出て行こうとすると、首根っこを捕まえられ、髪に黒彩をふりかけられ、式の列に並ばされた。苦くて酸っぱい青春のラストシーンである。
そこから数年、母校には寄りつかなかったが、今になってやけに心に染みる。
「結局、継続することが一番大変なんです。僕はそれが苦手だった。50mダッシュ10本と決めても、だるい日、体調の良くない日もあるんです。でも100%じゃなくてもいいから10本走る。そうすると案外、最後は全力で走れていたりする。今はそうやって習慣にすることができています」
今ならわかる。なぜ、あの人が赤ペンで同じ言葉を書き続けたのか。なぜ、自分に坂道を走らせたのか。
「そういえば昔、オカンにも言われたなあ。気づいた時には遅いんやでって」