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西岡剛、中田翔、根尾昂の追想。
坂道を駆け抜けた大阪桐蔭の3年間。 

text by

鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

PROFILE

photograph byHideki Sugiyama

posted2020/02/09 11:30

西岡剛、中田翔、根尾昂の追想。坂道を駆け抜けた大阪桐蔭の3年間。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

2018年夏の甲子園決勝では金足農に13-2と勝利し、史上初2度目の春夏連覇を果たした。

常勝の宿命を背負っていた根尾世代。

 そして今、プロ野球界の入口に立ったばかりの根尾昂はある意味で、先人たちより過酷な坂を走破してきた。

 豪雪の地・飛騨から出てきた神童が過ごしたのは、常勝の宿命を背負ってからの大阪桐蔭である。入学した2016年春にはすでに春夏合わせて5回の優勝を誇っていた。だから根尾たちの世代に対してはすべての相手が刺し違える覚悟で向かってきた。

「だから負けないための野球というか、ひとつの隙も見せないこと、そのための準備の大切さを教わりました。実戦形式の練習でも負けている展開で残り3イニング、そこからどう返していくか、ひっくり返すかというような想定をしていました」

 最初は西谷が状況を設定していたが、やがて根尾の世代は自分たちで、さらに厳しい状況設定をするようになったという。

 王者が平坦な道を歩いていたのではいつか屠られる。生駒山の斜面でもまだ足りない。ついに大阪桐蔭は自ら精神的な上り坂を生み出すまでになっていた。もちろん、練習の後には本当の坂ダッシュが待っていた。

 その強さが如実に表れたのが、根尾たちが3年生の夏、北大阪大会準決勝だった。相手の履正社は秘策として公式戦初登板の外野手を先発投手に送ってきた。

 捨て身のライバルに1点リードを奪われたまま、9回2死ランナーなしまで追いつめられた。さすがの王者もこれまでかと、多くの人が思ったが、そもそも下り坂を突っ走ろうなどとは考えていない根尾たちは極めて冷静に状況を見つめていた。

「2アウトになって後輩の中には泣いている選手もいました。ただ、僕は不思議と焦りはなかったんです。他の同級生たちもそうだったと思います。相手は投手がひとりしか残っていなかったし、前のイニングからかなりきつそうな様子が見えましたから。あの場面、ランナーが3人出ないと僕の打順はこないんですが、なぜか絶対に自分までまわってくると確信できたんです」

 9回2死で2番打者が打席に入った時、5番の根尾はすでにレガースも革手袋も装着し、バットまで持って構えていた。

 日々、急坂を上ってきた者の強さである。

 そして本当に打席はめぐってきた。3連続四球で満塁。異様な空気の中で根尾は相手投手をじっと観察し、落ち着いて4球を見送った。押し出しで同点。次打者のタイムリーで勝ち越し。決着はついた。

 彼らは最終的に甲子園を春夏連覇するという高みにまで上っていった。

未来を信じる根尾の眼。

 あれから1年。根尾はプロに入って最初の夏を二軍で迎えている。打率は1割台を這い、逆に三振の数は積み上がっていく。すると周りは言う。なぜ変わろうとしないのか。それでも、根尾は頑なに強く大きくバットを振り続けている。

「試合への準備というのは高校時代から何も変わっていません。技術的にはもちろん変わっていますし、もっと変えていくべきなのかもしれません……。ただ、自分がこうなりたいというものは変えてはいけないのかなとも思うんです。とにかく経験して、1歩ずつ上がっていかないといけません」

 この坂を上りきった先に何かがある。そう信じる根尾の眼はあの日と同じだ。

 ひとつの節目を迎えた34歳も。脂の乗った30歳も。そして、まだ漕ぎ出したばかりの19歳も。どこか通底するものがある。

 西岡が地方球場の土煙の中で呟いた。

「僕が栃木に行くと報告したら、西谷さんは『お前らしい人生の選び方だな』と、そう言ってくれました。あの人は僕らの時代も、甲子園常連校になった今も、まったく変わらない。それが凄いんです」

 大阪と奈良をまたいだ生駒山の上のグラウンドには、あの頃からずっと急斜面と大きな恰幅の情熱がそびえている。

 夏が来る。今年もまた真っ白な練習着の球児たちが、あの坂を駆け上がる。

 

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