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西岡剛、中田翔、根尾昂の追想。
坂道を駆け抜けた大阪桐蔭の3年間。 

text by

鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

PROFILE

photograph byHideki Sugiyama

posted2020/02/09 11:30

西岡剛、中田翔、根尾昂の追想。坂道を駆け抜けた大阪桐蔭の3年間。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

2018年夏の甲子園決勝では金足農に13-2と勝利し、史上初2度目の春夏連覇を果たした。

「ヒロコって僕ら言ってました」

 北海道日本ハムファイターズの4番として、プロ球界のど真ん中にいる中田翔も、高校時代を象徴するものとして真っ先に浮かぶのは、やはりあの生駒山の坂であり、そこで遭遇した「ヒロコ」であるという。

 もちろん、セーラー服の女の子ではない。

「疲労骨折ですよ。ヒロコ、ヒロコって僕ら言ってました。人間って走り過ぎたら本当に脛の骨が折れるんです」

 中田が入学したのは大阪桐蔭が全国にその名を轟かせた2005年だった。

 150km左腕・辻内崇伸と平田良介を擁して、夏の甲子園ベスト4まで駆け上がった。そのチームの中にただひとり、1年生からレギュラーとして入っていたのが中田だった。広島の中学時代から全日本のエースで4番、投げて松坂大輔、打って清原和博と言われ、同校史上最高の才能だった。

「入学から同級生は下に見ていました。ライバルは辻内さんや平田さんでしたから」

 無人の野をゆく中田に横を見ることを教えたのが、ヒロコの坂ダッシュだった。

早すぎるゲームセット、頬を濡らした中田。

 エースも4番も、控えも全員が同じスタートラインに立ち、一足ごとに鈍くなる歩みを前に進める。ゴールの瞬間、山道に倒れ込み、互いのゼイゼイという荒い息を聞きながら、同じ空を見る。誰かが隣にいるから走破できる。そういう坂道だった。

「仲間意識が高校の時は特に強かったです。みんなで監督の文句を言いながら、普通では考えられないくらい走りましたから」

 だからかもしれない。仲間たちとの最後の夏、中田は泣きに泣いた。

 誰もが最高のタレントを有する大阪桐蔭の甲子園出場を疑わなかった大阪大会決勝、金光大阪戦。エースとして3点を失い、4番としてノーヒットに終わった。3点を追う最終回、セカンドへフライを打ち上げてしまった中田はベンチに戻ると、涙をこらえることができなかった。

「僕らの代は甲子園に出て当たり前という重圧がありましたから、どうしよう、どうしようっていうのと、この仲間たちとこれで終わっちゃうんだというので……」

 早すぎるゲームセット。誰も顔を上げることができず、嗚咽だけが響く舞洲球場のベンチ裏。中田は頬を濡らしたまま立ち上がると、一度もグラウンドに立たないまま高校野球を終えたメンバーたち一人一人の背中に、こう声をかけてまわった。

『ありがとう、ごめんな――』

 中田は今、プロの世界でチームメイトたちに「大将」と呼ばれている。個人事業主の集まりであるはずが、彼のまわりには人の輪ができる。生来の気質がそうさせるのだろうが、ひたすら坂を駆け上がったあの3年間が無縁であるとは思えないのだ。

【次ページ】 どうしたら打てるのか、初めて考えた。

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