松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
「東京2020後はパラクライミングに!」
と語る伊藤力に松岡修造がエール。
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byNanae Suzuki
posted2020/01/25 08:00
伊藤「いつだって何か新しいことに挑戦したい。そんな気持ちで日々過ごしてますね」と言う言葉を聞いて松岡さんも大きくうなずく。
「障がい者スポーツも負けたら批判されて良い」
伊藤「ハハハ。僕はもう左腕で何でもできるから、右腕にそれほど執着はないんです。もう失った話なので、悩むことでもないですし」
松岡「なるほど、そういう考え方なんですね。
日本の障がい者支援が遅れているという話も今日は伺いました。思いやりがある国民性のはずなのに、どう接すれば良いか分からないという人がまだまだたくさんいる。僕たちは障がい者の方たちにどんなスタンスで接していけば良いんでしょう」
伊藤「あくまで僕のイメージですけど、障がい者スポーツってまだ多少なりとも観客が見守るというか、障がい者が頑張って、それに温かな拍手を送るという感じがあるじゃないですか。
そうではなくて、パラリンピックを僕は競技として見てもらいたい。
サッカーや野球が国際大会で負けたら色々言われるように、障がい者スポーツも負けたら批判されて良いと思うんです。批判すべき所は批判するし、賞賛すべき所で拍手を送る。そんなスタンスで良いのかなと。
障がい者との接し方については、正直僕はよくわかりません」
松岡「同じ目線で見て欲しいと言うことですね。確かに、やっていることはオリンピアンと同じですからね。むしろ、待遇的にはより厳しい環境で努力している。きっと今日の話は、一歩が踏み出せずに迷っている方に勇気を与えると思います。パラリンピックに必ず出て下さい。応援してます」
伊藤「頑張るので、ぜひまた松岡さんも会場に来て、声援を送って下さい。批判も賞賛も、僕は甘んじて受け入れるので(笑)」
(構成:小堀隆司)
伊藤力いとう・ちから
1985年10月21日、宮城県生まれ。パラテコンドー日本代表。クラスはK44、61kg未満級。2015年4月、職場での事故で右肘上部を切断。16年1月よりパラテコンドーを始める。同年4月アジアパラテコンドーオープン選手権大会に出場し初戦敗退。それをきっかけに練習環境を整えるために東京移住を決意。アスナビ(JOCが実施しているトップアスリートの就職支援ナビゲーションシステム)を活用し、セールスフォース・ドットコムに就職。同社に勤務しながら東京2020パラリンピックを目指している。'17年US オープンで金メダルを獲得、同年の世界選手権ではベスト8に。'18年、'19年全日本選手権2年連続優勝。