スポーツは国境をこえるBACK NUMBER
パラ陸上でザンビアから東京2020へ。
アルビノの少女を支えた、日本人指導者。
posted2020/01/30 11:00
text by
熊崎敬Takashi Kumazaki
photograph by
JICA
今回の冒険者
野﨑雅貴さんMasataka Nozaki
1995年、千葉県生まれ。4歳からサッカーを始め、日本体育大でもサッカー部に所属。'17年にJICA海外協力隊としてザンビアに派遣。体育教師を務める傍ら、モニカさんの指導にあたる。'19年9月に帰国し、同年11月からはJICA地球ひろばにて勤務。
世界中で活動する日本のボランティア。その中には、スポーツを通じて社会に貢献する人々の頼もしい姿がある。
例えばJICA海外協力隊の「スポーツ隊員」はこれまで91カ国に約4000名派遣され、彼らが指導したアスリートからオリンピック、パラリンピックのメダリストが7名誕生。競技レベルの向上や普及において、たしかな成果を上げている。
この連載の第1回では、東アフリカのザンビアに渡った野﨑雅貴さんをフォーカス。パラ陸上の女性アスリート、モニカさんとの二人三脚をレポートする。
野﨑さんがJICA海外協力隊としてザンビアに渡ったのは'17年9月下旬。体育教師として現地の学校に赴任し、翌年3月に運命の出会いを果たす。
「ザンビア・パラリンピックチームの指導者たちに日本の指導法を伝えるイベントがあり、そこでモニカと知り合いました。当時18歳の彼女はアルビノ(白皮症)で、視力がほとんどありません。この出会いをきっかけに、私は彼女を指導することになりました。ザンビアの指導者から、“きみはこの国に住んでいるのだから、練習を手伝うことができるよね?”と勧誘されて」
バスで片道8時間、練習は月に一度。
陸上400mを専門とするモニカさんは、東京パラリンピックへの出場が期待される有力ランナー。だが、ふたりが練習する機会は月に一度と限られていた。というのもパラ陸上のナショナルチームが活動する首都ルサカは、彼女が暮らす街からバスで片道8時間もかかるからだ。
「モニカは当時学生だったので、授業がある時期はなかなか首都に来られません。それでも練習に参加すると、貪欲に取り組んでいました。というのも彼女は以前、日本に招かれ、質の高い練習をしたことがあるからです。日本には自分が知らない優れたメニューがあることを知っていて、それを学びたいという強い意欲を持っていました」