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ノンスタ石田が語る漫才と競技化(2)
「ファンの存在が不利にもなりうる」

posted2020/01/21 18:05

 
ノンスタ石田が語る漫才と競技化(2)「ファンの存在が不利にもなりうる」<Number Web> photograph by M-1グランプリ事務局

2019年のM-1王者になったミルクボーイ。かまいたちの表情が、この勝負の重さを物語っている。

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中村計

中村計Kei Nakamura

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M-1グランプリ事務局

漫才に点数がついて、優劣が決まる。
「漫才で点数を競う」この競技は、2001年に『M-1グランプリ』が始まる前は今ほどメジャーではなかった。
もちろん『M-1』以前から賞レース自体は存在したが、賞を獲ったから売れるというよりは、劇場でウケている芸人に送られる賞という意味合いが強かった。
『M-1』の登場は日本の漫才シーンを、漫才のあり方を、芸人の考え方を大きく変えた。
競技化することで漫才はどう変わったか、そして変わらないものは何か。
2008年のM-1王者であり、そして芸能界屈指のお笑いオタクでもある『NON STYLE』の石田明さんに話を聞いた。

――初期のNON STYLEは「イキり漫才」という、相方の井上裕介さんがイキったキャラを演じ、それを石田さんがイジるというか、茶化しておもしろがるネタで大活躍されました。そのネタをM-1のために捨てたわけですね。

石田「2007年、そのパターンで最終形態まで行き着いたんです。準決勝でも爆笑を取りました。でも、勝てなかった。敗者復活戦で、1位通過がサンドウィッチマンさんに決まったとき、初めて涙がこぼれました。

 それまでもM-1で負けて悔しいとは思っていましたけど、涙までは出なかった。本当に悔しがってはいなかったんだと思います。でも、本気で悔しがれたあのとき、ようやく決勝で戦える自分になれたんだと思いました」

――でも当時、NON STYLEはそれこそ関西の新人賞は総なめにしていて、人気も実力もあった。そして、そこまでに作り上げた爆笑ネタもあった。なのに、よくそれを捨てられましたね。

石田「もう行き着くところまで行き着いたので、どんなによくしようと思っても所詮、焼き直しにしかならないと思ったんです。イキり漫才は、要は井上がカッコつけられない状況でカッコつける場所を設定し、井上にウザイ空気を出させればいいだけの話なので。その設定はもう考え尽くしちゃいましたから」

――そのネタを捨てると言ったときの井上さんの反応は?

石田「こんなにウケるネタを捨てる意味がわからん、と。でも、翌年勝負しようと思ったら、イキり漫才をやりつつ新しい漫才を模索していたのでは間に合わない。なので、そこは挑戦させて欲しいと押し通しました」

秋までM-1のスタイルはできていなかった。

――M-1で勝つために、最初、どんなことを考えていたのですか。

石田「M-1のネタは、アップテンポで、その中にボケを詰め込めるだけ詰め込むというのが常道です。なので、まず二重奏のような漫才をイメージしました。本線で笑いを取りながら、違う物語が進んでいく……というか。

 1つの振りで、2つ笑いを取りたかったんです。たとえば、井上が取り調べをする刑事の役をやりたいと言い出して、僕が取り調べられる側の役をやったとします。僕は早く打ち上げに行きたいんで、とっとと終わらせて欲しい。なので、取り調べられながら、つい飲み屋を連想させるジェスチャーが出ちゃう……みたいな感じのネタです。

 普通のボケと、飲み屋のボケと、二重構造で進んでいく。でもウケるんですけど、M-1で勝てるほどのネタかというとそうでもなかった。なかなか新しい形ができないまま、9月か10月ぐらいですかね、

 M-1の2、3カ月前です。井上が突っ込んだあと、僕がまた自分で自分を突っ込んだらどうなるんやろうというのを思いついて。井上には内緒で、アドリブで3つくらい入れてみたんです。そうしたら井上が珍しく本気で笑ってて。これ、いけるなと」

【次ページ】 「うまいだけのコンビ」と言われて。

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