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イップス、衝突、安英学の助言。
マリノスGK朴一圭「勝負は2年目」
text by
キム・ミョンウKim Myung Wook
photograph byKim Myung Wook
posted2020/01/22 20:00
シーズン終了後、インタビューに応じた朴。松永コーチの指導のもと成長を続けたGKは、マリノス優勝に大きく貢献した。
チャンスをつかむきっかけは「声」。
悶々としていた日々についに転機が訪れる。2014年、J3昇格を果たした藤枝MYFCへ再び加入する機会を得た。ついに“Jの舞台”に立てる日が来たのだ。
チャンスをつかんだきっかけは「声」だったという。
「とにかく大舞台でやりたいという気持ちがあったので、それで練習中にたくさん声を出したんです。一週間、練習に参加させてもらいましたが、もう喉がつぶれるくらいでした。そしたら監督が『あのキーパーはいい。試合に出る出ないに関係なく、必ずチームにプラスになる』と評価してくれたみたいで」
実体験で得たものだからこそ、説得力がある。「声」を武器に入団を勝ち取った朴は、今でも忘れられない光景があるという。
「藤枝MYFCがJ3のカテゴリーに上がったとき、練習場にあるボールがJリーグの公式球に変わっていたんです。『自分もようやくJの舞台に来ることができたんだ』と、そのボールを見て熱いものが込み上げてきて……。カテゴリーが上がるだけで、大きく環境も変わるんだとものすごく感じました。自分が追い求めていたものに少し近づけたと感じた瞬間でした」
ボールを見てそのような感情を抱くところが、いかにも“ゴールキーパー”らしい。それくらい「Jリーグの舞台でやりたかったし、もっとうまくなりたかった」のだ。
イップスと戦いながらJ3琉球で優勝。
そこから2年間、正GKとしてプレー。2015年のシーズン終了前に直接連絡があったのが、高校3年間、大学3、4年時に指導を受けた金鍾成監督だった。2016年からFC琉球の指揮官となった金監督はGKを探す中で、かつての教え子に声をかけた。
「(藤枝時代に)1カ月で2回も退場してしまい、2試合出場停止になって最終節に出れなかったんです。そんなときに金監督から連絡がありました」
プロになって初めて受けたオファー。求められることに喜びを感じた朴は二つ返事で快諾し、正式にFC琉球への移籍が決まった。そこで過ごした最後の3年目の2018年、J3で優勝を手にする。「この3年間を振り返ってみて感じるのは、自分のパフォーマンスがすべて良くなった」ことだという。そのきっかけはとにかくキックの練習に集中して取り組んだこと。現代のGKにはキックのスキルは必要不可欠だが、朴には強化しなければならない理由があった。
「今だから言えるのですが、実は長らくキックの“イップス”になっていたんです。当時は周りの誰にも言えなくて」
ゴルフや野球で“イップス”になる選手はいると聞くが、サッカーではあまり聞いたことがない。
「藤枝時代に足首のケガをしてから、インステップの形をしっかりと作ることができなくて、すくい上げるような形で蹴っていたんです。治療も終わり、まっすぐ足首を伸ばして蹴ったら地面を蹴ってしまう。これがずっと続いていました。
金監督は(自分に)キックがうまいイメージを持ってくれている。周囲の選手からもキックが下手とも思われたくなかった。だから、とにかく必死に、毎日緊張感を持ってボールを蹴っていました。チーム練習が終わってから2時間、ぶっつづけでボールを蹴りこむ日もありましたね。そのおかげでいろんな球種のボールを蹴られるようになりました」
朴にはプロとしてのプライドがある。弱点があれば、周囲に知られまいと隠れてコツコツと努力して克服する。それは自分のためでもあるのと同時に、チームのためでもあることを朴はよく知っている。