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スノボーの父、J・バートン逝く。
すべてを“滑り”に捧げた男の人生。 

text by

野上大介

野上大介Daisuke Nogami

PROFILE

photograph byBURTON

posted2019/12/20 11:15

スノボーの父、J・バートン逝く。すべてを“滑り”に捧げた男の人生。<Number Web> photograph by BURTON

ジェイク・バートンの訃報に接し、ショーン・ホワイトは「彼のレガシーを何としてでも後世に伝えていく」とSNSでコメント。

クレイグ、ハーカンセン、ホワイト。

 そして、チームライダーたちのことも家族のように愛し、大切にしてきた。

 2003年に発生した雪崩事故により他界してしまった伝説の男、クレイグ・ケリーはビジネスパートナーとしても大きな存在だった。世界選手権のタイトルを総ナメにしていた絶頂期に突如コンテストから退き、バックカントリーでの滑りをフィルムに収める映像制作を開始。大会の結果以外に、映像や雑誌での露出に広告価値を見出したことで、それに対する報酬を得られる仕組みを生み出し、ライダー業の収入改善を図ったスーパーヒーローだった。

 そうしたクリエイティブな才にも恵まれたクレイグとともにBURTON製品は目覚ましい進化を遂げ、トップブランドへと上り詰めることになる。

 クレイグの意思を受け継いだ“生ける伝説”と称されるテリエ・ハーカンセンは、1998年の長野五輪では金メダルを確実視される実力を持ちながらも、それまでスノーボードの国際大会を運営してきたISF(国際スノーボード連盟)を出し抜く格好で、IOC(国際オリンピック委員会)の傘下にあったFIS(国際スキー連盟)がオリンピックにおけるスノーボード競技を統括することに中指を立て、出場をボイコット。自らコンテストを主宰し、クレイグが築き上げたプロの世界で表現者として生きる道を歩んできた。

 それに対してハーフパイプ競技で圧倒的な実力を誇り、トリノ、バンクーバー、平昌とオリンピック3大会で金メダルを獲得しているアメリカのスーパースター、ショーン・ホワイト。

 相反するスタイルを有する彼らを含めた多くのライダーたちを愛し続けてきたことが、自身の原動力でありブランドのアイデンティティなのだと、バートンは常々、口にしてきた。

平野が過ごしたジェイクとの1週間。

 もちろん、ソチ、平昌と2大会連続で五輪銀メダルを獲得した平野歩夢についても同様だ。BURTON US OPENハーフパイプの決勝では毎年、パイプのボトムでスタッフやライダーたちとともに観戦していたが、そこで平野に対して優しい目を向けて声をかけているシーンを幾度か目撃したことがある。

 平野は突然の訃報をどのように受け止めたのか。

「平昌五輪の後、カナダでのヘリトリップに呼んでもらって、そこでジェイクと1週間くらい過ごしたんです。毎日のように雪上でファンなセッションをしながら、滑っているとき以外も仲良く接してもらい、自分のスノーボード人生のなかでも最高級の経験をさせてもらいました。こうした経験を自分の糧にして、まだ誰も成し遂げたことのない壁を壊しながら、横乗り業界をさらに盛り上げていきたいです」

 平野はこうした想いを胸に2020年東京五輪ではスケートボードで宙を舞い、さらに2022年の北京五輪でのリベンジを目論む。それは、スノーボードの父に捧げる恩返しでもあるのかもしれない。

【次ページ】 SNSでも“らしさ”が溢れていた。

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