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浦和在籍5年半でJ公式戦出場ゼロも、
ファンと同僚に愛されたGK岩舘直。
text by
佐藤亮太Ryota Sato
photograph byJ.LEAGUE
posted2019/12/05 11:30
2019年の第32節川崎戦でベンチ入りした岩舘直。公式戦出場こそなかったが、準備を怠らなかったからこの場にいられたのだ。
アルテ高崎時代にはバイトで生計。
岩舘は、プロになれただけでも幸運だったかもしれない。
小さい頃からサッカーはやっていたが強豪校にいたわけではない。カテゴリー代表やもちろん全国高校サッカー選手権に出たこともない。アルテ高崎加入後も、スポーツインストラクターなどアルバイトで生計を立てていたほどだ。
「プロにはなりたかった。でも本当になれるのだろうか?」
そんな環境でサッカーを続けていた。それでも岩舘は、いや、それだからこそ環境に負けず、諦めず、うまくなろうとし続けた。
「もともと自分なりに問題点を見つけ、どうすれば改善できるか、どんな練習をすればうまくなれるのか、考えながらやるのが好きでした。繰り返しているうちにレベルアップできたときに喜びを感じられたので」
その日々の積み重ねが水戸への加入へとつながった。
そしてさらなる転機が訪れたのは、前述した2014年の浦和加入だった。
ミシャ浦和の一員となった当初は。
当時の浦和はミハイロ・ペトロヴィッチ監督(以下ミシャ)3年目のシーズンで、GK陣は山岸範宏、加藤順大、西川周作の3人体制で開幕を迎えていた。しかし6月、山岸がモンテディオ山形に移籍したことでGKが2人になった。
そこでクラブは練習要員としてJ2以上のカテゴリーでGK4人体制のチームを調査し、水戸が当てはまった。
当時水戸を率いていたのは柱谷哲二監督で、浦和でコーチを務めた経験があった。また柱谷監督と浦和・土田尚史GKコーチは旧知の仲ということで、岩舘は半年間の期限付き移籍で浦和の一員となったのだ。
岩舘は、水戸のためにできるだけ多くのものを吸収しようと必死に練習した。
しかし、加入当初はとにかくおぼつかなかった。
ミシャサッカーはGKから丁寧なビルドアップが始まる。そこでパスが通らなかったり、キックを空振りしたり、肝心のキャッチングでもミスが目立った。練習試合でも散々な出来に終わったこともあったのを記憶している。
だからこそ岩舘は練習が終わった後も、自主練習に明け暮れた。