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秋山翔吾が西武に残したスピリッツ。
負けているときに、どう振る舞うか。
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph byKyodo News
posted2019/11/28 20:30
10月には外崎修汰や源田壮亮とともに台風19号の被害を受けた埼玉・坂戸と東松山の避難所を訪れ、激励した。
改めて感じた浅村栄斗の存在。
「キャプテンになったからしんどいという感覚は、正直あまりなかったですね。去年までは僕と浅村(栄斗・東北楽天)という世代がチームを引っ張っていて、その上に栗山(巧)さん中村(剛也)さんがいる形ができていた。その状況から、浅村という存在がいなくなったことはしんどかったかもしれません。浅村と僕は一軍で試合に出始めたのがほぼ同時期で、同じようにレギュラーになって、同じように試合を重ねてきましたから」
秋山は2011年から一軍でレギュラーとなり、浅村もまた2010年に一軍初出場、2011年からレギュラーとなった。「僕らが若手と言われるようではダメだ」「僕らより下の世代がもっと試合に出ないと」と、2人でよく危機感を口にしていた。
「たとえ直接、成績について話をしなくても『アサ、しんどそうだな。打てなくて悩んでるのかな』とか『アサがしんどいときだってあるんだから、俺が打てないときもあるよな』と思える相手がいた。浅村が悩みながらも必死でプレーしている姿を近くで見ることができたのが、僕にとってけっこう大きかったんだなと改めて感じました」
新たにレギュラーとなった森友哉や山川穂高にも当然、結果を残さなければならないというプレッシャーはあった。しかし、プロとして超えてきた壁の数や、成績を残してきた年数、経験という面では立ち位置が違った。
そして、同じ悩みを共有するには栗山巧、中村剛也はチーム内でのキャリアが突き抜けていた。
源田らを誘った社会貢献活動。
「近年、栗山さんと中村さんを見ていると『あいつがやるならオレも打ったろう、クリが打つなら俺もやったろう』というお互いの思いが、いい刺激になっているんだろうなと感じました。中村さんと栗山さんはポジションも選手としての個性も全然違うけれど、そういうライバル関係になる選手がいるのは幸せなことなんですよね」
今シーズン終盤から、社会貢献活動の場に源田壮亮や外崎修汰、金子侑司ら次世代の選手を誘ったのも、そういった様々な思いを引き継ぎ、栗山と中村のような「関係」を築いていってほしいという思いの表れだったのかもしれない。