松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
パラリンピックでメダル20個獲得!
競泳・成田真由美の人生を修造が訊く。
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byYuki Suenaga
posted2019/10/28 07:00
パラリンピックで20個ものメダルを獲得してきた“レジェンド”成田真由美選手と、いつも練習をしているプール脇で。
車いすが行動範囲を広げてくれた。
松岡「入退院を繰り返したというのは、そうやってムリをするからじゃないんですか」
成田「そうかもしれないですけど、自分の体より練習を優先させちゃうんです。じつは私、追突事故をこれまでに4回もらっているんですよ。それらの追突事故は100%相手の過失だったので、極端な言い方をすれば相手を責めることができる。でも、病気は誰も責めることができないですよね。多少無茶をしても、何かあったらお医者さんを責めるのではなく自分のせいって思うようにしているので、自分の意思を通してもいいかなと……」
松岡「あの、やっぱり5人分ぐらいのストーリーがあるから、ちょっと整理しましょう(笑)。常識破りの真由美さんにいたる過程について、僕は著書を読んできました」
成田さんの著書『夢への前進(ストローク)』にも書かれているが、中学生のときに突然発症した難病は、後に「横断性脊髄炎」であることが分かった。ウィルスなどによって脊髄が炎症を起こし、激しい痛みを伴いながら、いずれ神経が麻痺してしまう病気である。発病からしばらくは病名もわからず、病院のベッドで過ごすことが多くなった。
その後、2年遅れで進学した高校へは毎朝、病院から車いすで通うことになったが、この車いすがやがて「自身の行動範囲を広げる切っ掛けになった」と振り返る。病と闘いながら大学にも進んだ成田さんは、車いすバスケなどスポーツにも積極的に取り組んだ。そして23歳の秋、運命の出会いを果たす。成田さんが通う障がい者も利用できるスポーツセンターで、とあるクラブチームから水泳大会の誘いを受けたのだ。
(構成:小堀隆司)
成田真由美(なりた・まゆみ)
1970年8月27日、神奈川県生まれ。中学生のときに横断性脊髄炎を発症。ウィルスによる脊髄の炎症で下半身が麻痺し、車いす生活になる。その後、23歳のときに水泳大会の誘いを受けたのをきっかけに水泳を始める。96年アトランタパラリンピックに初出場、金メダル2個を獲得。その後もシドニー、アテネ、北京と4大会連続出場し、4大会合わせて計15個の金メダル、3個の銀メダル、2個の銅メダルを獲得。現役生活を続ける一方で、2020東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事も務める。