松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
パラリンピックでメダル20個獲得!
競泳・成田真由美の人生を修造が訊く。
posted2019/10/28 07:00
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph by
Yuki Suenaga
晴れ男で知られる松岡さんにしてはめずらしく、この日は雨だった。
扉の外からは雨音が、建物の中に入ると、プールから水音が聞こえてくる。
松岡修造がパラアスリートと真剣に向き合い、その人生を深く掘り下げていく「松岡修造のパラリンピック一直線!」。第七回のゲストはパラ水泳の成田真由美さんだ。
横浜サクラスイミングは成田真由美さんが「第2の家」と形容するほど通い慣れた練習場。創立40周年を迎える幼稚園の付属のプールでかなり年季は入っているが、地域の人々に長く愛されてきたであろう温もりが感じられる。
成田さんはこのプールで練習し、パラリンピックで20個ものメダルを獲得してきた。初めて出場した1996年のアトランタ大会で金2つ、シドニー大会では金6つ、アテネ大会でも7つの金メダルを獲得! 2008年の北京大会以降はメダルから遠ざかるも、パラリンピックに5度出場し、これほどの数のメダルを獲得した日本人選手は他にいない。
トレーニングルームがある2階へ上がると、すでに成田さんが待ちかねた様子で窓際の席に腰掛けていた。隣に座っているのは、普段からサポートをしている棟石理実さん。今回の対談に同席して頂けるという。
松岡さんが2人に近づくと、挨拶もそこそこに対談がスタートした。
「人はよくゼロからのスタートと言うけど……」
松岡「今日は、真由美さんと呼ばせていただきます。真由美さんはもう、普通のひとの5人分の人生を生きてますね」
成田「5人分かどうかはわからないですけど、濃(こ)ゆい人生は歩んでます(笑)」
松岡「改めて真由美さんの人生を振り返ると、僕らが一生かかっても経験しないような体験を色々なさっている。喜びもそうだし、苦しみも。そういう苦しみを知っているからこそ、喜びも大きいのかなって。なんかそんな気がするんです」
成田「それはあるかもしれないです。人はよくゼロからのスタートだって言うけど、ゼロじゃないですからね。私の場合はマイナスの1や2でもなくて、どこまで下に行っちゃうのって感じだったので。いったんどん底を味わうと、何でも前向きに行けちゃうんですよ」
棟石「でも、まだあなたの場合はこの先に底があるかもしれないよ(笑)」
成田「そうね。だから、とりあえずのどん底か(笑)」
2人があっけらかんと笑い合う姿を見て、松岡さんは呆気にとられた様子だ。成田さんの心の強さを間近に感じて、より関心を惹かれたようでもある。
本人が話すように、成田さんはこれまで様々な困難とぶつかってきた。最初の試練は中学生になったばかりのころ。
突然の病魔(のちに横断性脊髄炎と診断)に襲われ、下半身が麻痺。足の痛みや高熱に悩まされ、入院しての治療となった。治療は長引き、中学3年生になると学校へも通えなくなる。医師には両足を切断することを勧められたというが、母親の反対もあってその事態は回避……。だが、青春のまっただ中に治療法すらわからない難病に冒された辛さは、想像に余りある。