松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER

パラリンピックでメダル20個獲得!
競泳・成田真由美の人生を修造が訊く。 

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松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

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photograph byYuki Suenaga

posted2019/10/28 07:00

パラリンピックでメダル20個獲得!競泳・成田真由美の人生を修造が訊く。<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

パラリンピックで20個ものメダルを獲得してきた“レジェンド”成田真由美選手と、いつも練習をしているプール脇で。

「薬は飲まない、点滴は抜く、誰とも口をきかない」

松岡「その、とりあえずどん底ですか。僕にはすごく前向きに聞こえるんです。マイナスの体も心も最終的には強くしていくしかない。そうやってマイナスを真正面からとらえられたから、真由美さんは前に進めたんじゃないかって」

成田「まさにそうですね。マイナスを味わったらもうプラスしかないので」

棟石「でも、あなたの場合は直線的な人生ではないよね。しかも反時計回りで大きな円を描いてプラスに向かうような、つねに人とは違う方向に行きながら、ありえない方向からカムバックしてくる。何度も入院して、何度も復活して、普通の人ではなかなか経験できないような人生を送っている気がします」

松岡「じゃあ人間じゃないんだ」

成田「ハハハハッ。でも、結果的に色んな人の力を借りて、またこうやって泳げる環境に戻ってこられるんですよ。それってすごく幸せなことですよね」

松岡「でも、最初からそうだったわけじゃないでしょ。初めて病気を知ったときは病院で暴れたと聞きました」

成田「相当暴れました」

松岡「そのイメージが湧かないんですよ。今の真由美さんはすごく穏やかだから。でも、いわゆるヤなやつになった時期があったんですね」

成田「すごかったですよ。(指を1つひとつ折りながら)薬は飲まない、点滴は抜く、誰とも口をきかない。色々やりました」

松岡「その時の自分をどう思いますか」

成田「それも仕方がなかったと。反抗しない方がおかしいくらい、すごく辛い検査を黙って素直に受けとめられるほど大人ではなかったですから。やっぱり現実から逃げ出したいという気持ちや、親を責める気持ち、色んな感情が出てきましたけど、その時の私には当然なことだったなあって」

松岡「突然の病に襲われて、子ども心には耐えられなかったと。そういう反抗的な態度を周りの大人たちはどう受けとめていたんでしょう」

成田「お医者さんや看護師さんがすごく愛情を持って接してくれました。小児科には保育士さんもいるし、勉強を教えてくれるボランティアさんもいて、あの時は愚痴を吐ける大人がいたんです。それに一緒に戦っている仲間もいた。私より小さな子どもたちが病気と闘っているのを見ると、私ももうちょっと頑張らないといけないとか、命の尊さを身近に感じられる環境でした。

 それに、これは言ってもいいのかな……。私が入院中に当時人気絶頂のアイドル歌手が飛び降り自殺をしたんですよ。その時に難しい病気と闘っている子どもがいて、私にこう言ったんです。『なんであの人は生きられる命があるのに自分から死んじゃったの』って。私、それに対してなんて説明していいか分からなかったんですね。で、その子は私が入院中に亡くなっちゃったんです」

【次ページ】 「この子たちの分まで生きていかなきゃなって」

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