フランス・フットボール通信BACK NUMBER
監督、解説者から商店主まで──。
クライフ時代のバルサ選手たちの今。
posted2019/09/17 11:15
text by
ロベルト・ノタリアニRoberto Notarianni
photograph by
Pascal Rondeau/L'Equipe
すでに本欄でも以前に紹介したが、『フランス・フットボール』誌には「彼らは今」という、かつて一世を風靡したチームの選手たちが、現在何をしているかを紹介するページ(不定期連載)がある。同誌7月30日発売号でロベルト・ノタリアニ記者が書いているのが、1992年のFCバルセロナ――ヨハン・クライフ監督のもと、チャンピオンズカップ(現CL)で悲願の初優勝を遂げたあのバルセロナである。
このバルセロナは日本ともなじみが深く、'90年7月に初来日を果たし、日本リーグ(JSL選抜)と2試合(広島と東京・駒沢)を行った際には、ウェンブリーでの決勝のピッチに立った13人中11人が酷暑の日本でもプレーしている。
また後にフリスト・ストイチコフ(柏レイソル)とミカエル・ラウドルップ(ヴィッセル神戸)、フリオ・サリーナス(横浜マリノス)、さらには決勝の出場こそないがチキ・ベギリスタイン(浦和レッズ)の4人がJリーグに移籍した。そんなチームは('94年ワールドカップ優勝のブラジル代表を除き)他に例がないのではないか。
さらに筆者(田村)も個人的に多少の縁があり、駒沢の試合を見に行ったのもそうだが、初めて海外で見た試合、初めてのウェンブリー、初めてのチャンピオンズカップ決勝がバルセロナ対サンプドリアだった。ボローニャでのF1・サンマリノGP取材中、『ガゼッタ・デロ・スポルト』紙で見つけた決勝弾丸ツアーの小さな広告を見て応募し、サンプドリアのサポーターと共にチャーター便でロンドンに向かったのだった。そしてその数カ月後、トヨタカップで来日し、国立競技場の前日練習で彼らから受けた強烈なインパクト。それら一連の経験は、筆者のサッカー記者としての原点のひとつでもある。
そんなバルセロナの選手たちは、その後どうなったのか。彼らの今は?
監修:田村修一