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甲子園、高野連は悪者なのか。
米・高校野球事情を調べてみると……。 

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太田俊明

太田俊明Toshiaki Ota

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photograph byHideki Sugiyama

posted2019/09/16 11:00

甲子園、高野連は悪者なのか。米・高校野球事情を調べてみると……。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

2019年の夏も甲子園は大きな注目を集めた。その中で投手の健康問題については今も議論が続いている。

本当に「甲子園は悪」なのか。

 甲子園、高野連悪者論者からは、当然のように甲子園を改革すべきとの意見が出てくる。

(1)春と夏、2回もあるから過密日程になる。夏の甲子園が終わってすぐに、春の選抜に繋がる秋季大会が始まるではないか。春の選抜をやめて夏だけにし、ゆとりをもって地方予選を行うべきだ。

(2)全代表を甲子園に集めるから日程がきつくなる。1、2回戦は、関東、東海、近畿といったブロックごとに各地方で行い、絞り込まれたブロック代表が甲子園に進出するようにすれば、エースの連投を避ける運営が可能になり、出場校の経済的負担も軽減される、等々。

 球数制限の導入や、エースの決勝戦登板回避に否定的な高齢世代も、「球数制限より、休養日の導入を急ぐべき」という形で甲子園改革論に賛成票を投じている。

 中には、橋下徹元大阪市長のように、甲子園を廃止すべきという意見まで出てきて、まるで「甲子園が諸悪の根源」のような言われようだが、本当に「甲子園は悪」なのだろうか。

日本野球界にとって甲子園は宝物。

 いまの甲子園が様々な問題を抱えているのは事実だが、甲子園の本来の価値について、少し長いスパンで見てみよう。

 第1回の甲子園大会が開催されたのは1915年(大正4年)。これは、1925年(大正14年)に始まった東京六大学野球や、1927年(昭和2年)に第1回大会が開催された都市対抗野球よりも早く、もちろん1936年(昭和11年)にスタートしたプロ野球より21年も早い。

 甲子園は、野球界で最も古い歴史を誇るばかりでなく、現在まで続く他のスポーツの伝統戦よりも古い。第1回箱根駅伝は1920年(大正9年)、ラグビーの最初の早明戦が戸塚グラウンドで行われたのが1923年(大正12年)である。

 比類ない歴史を持つというだけでも価値があるが、甲子園の場合は、その大正、昭和、平成、令和にまたがる 100有余年のほぼすべてに渡って国民的な高い人気を誇り、野球を志す少年たちの憧れであり続け、後に野球界を背負って立つ人材を輩出してきた。その構図は、いまも変わらない。

 少子化のいま、野球を志す子供の数は、他のスポーツと比べても大幅に減っており、横浜DeNAベイスターズの筒香嘉智選手らも強い危機感を表明している。そんな中で、多くの日本人が注目する歴史ある甲子園大会は、野球界の宝である。野球人は、これを守り、育てていかなければならない。

 日本野球は、『甲子園というシステム』によって造られてきたといっても過言ではないが、ではそこで培われてきた日本野球の特徴とはなんだろう。

【次ページ】 知られざる米国の投手育成事情。

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