サッカーの尻尾BACK NUMBER
14歳で学校を辞めてサッカー漬け。
サラーの原点をエジプトでたどる。
posted2019/09/06 11:40
text by
豊福晋Shin Toyofuku
photograph by
Daisuke Nakashima
開幕からひと月と経たずに、3ゴール、2アシスト。モハメド・サラーは今季もリバプールで変わらぬ存在感を見せている。
昨季はついにチャンピオンズリーグを制し、欧州の頂点に立った。
独特のボールタッチと景色を塗りかえるスピード。現在、彼と1対1の局面で(クリーンに)抑えられるディフェンダーはそうはいない。昨年のCL決勝のセルヒオ・ラモスのように力技に出るか、その試合がラマダン中であることを願うかだ。
サラーはなぜ止められないのか。10代の頃、その突破力をどう身につけたのか。アタッカーとしての原点を探るために、エジプトへ飛んだ。
「彼の家庭は貧しくはなかった」
サラーの故郷ニグリィグの村長マヘル・シタイヤが指摘するのは、少年期から青年期にかけてサッカーに費やした、異常ともいえる時間だ。
「とにかくサッカーをしていた。故郷のニグリィグで、朝から晩まで。私たちの村はカイロから離れた、言ってみれば特に何もないところだ。豪華な商業施設も、若者を引きつけるエンターテインメントも。そんななか彼はサッカーだけに没頭した。カイロやその他の巨大都市だったら色々違ったかもしれないが」
田舎に生まれたサッカー少年がボロボロのボールを毎日蹴り、ストリートで技術を身につけた――。
よく聞く話だ。家庭が貧しければ話は引き立つし、蹴っていたボールが靴下を丸めたもの、あるいはペットボトルだったらなおストーリーは作りやすい。
「彼の家庭は貧しくはなかった」
村長はまっすぐに見ていった。筋書きを描きはじめていたこちらを見透かすように。
「父親も母親も、村で役所の仕事をしていた。それに加え父親は村の名産品、ジャスミンの輸出業もしていた。ジャスミンマン、というのが父親のニックネームだ。富豪ではないが、ごく普通の良い家庭。その意味では幸運だった。皆がそんな環境にいるわけではないから」