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ラグビー代表と1997年のサッカー。
競技の命運を背負う、という共通点。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byGetty Images
posted2019/08/30 20:00
ジェイミー・ジョセフのチームは確実に4年前よりも強くなっている。あとは本大会で結果を出すのみだ。
Jリーグの人気も落ちてきていた。
それでも、諦めの言葉を口にする選手はいなかった。
'98年の次のW杯は、日本と韓国の共同開催で行われることが決まっている。過去にホストを務めた国は、漏れなく出場経験を持っていた。フランスW杯出場を逃すようなことがあれば、'94年までに4度出場している韓国との違いが浮き彫りになる。国際的な信用を失ってしまう。
Jリーグの足元も揺らいでいた。'93年の開幕初年度は1試合平均で約1万8000人の観客を動員し、翌'94年は1万9500人を超えたものの、'96年には約1万3500人まで減少する。'96年夏のアトランタ五輪で沸騰した熱も、同年末のアジアカップで日本代表が連覇を逃したことで鎮火されてしまった。国内の盛り上がりを取り戻すためにも、代表チームはフランスへ辿り着かなければならなかった。
個人的な野心に駆られるわけでなく、日本サッカーのためにひたむきに戦う選手たちのメンタリティは、絶体絶命の窮地から這い上がるエネルギーとなっていく。
UAEとのドローゲームから1週間後、岡田武史監督が率いるチームは敵地ソウルで韓国を下す。続くカザフスタン戦にも勝利して2位に滑り込み、イランとの第3代表決定戦で初出場を勝ち取ったのだった。
ラグビー代表が背負う競技の命運。
ジェイミー・ジョセフのもとに集う選手たちも、ラグビー界の未来を見据えている。
4年前のW杯で強豪の南アフリカを撃破し、史上初の3勝をあげたことで、ラグビーはメディアに大きく取り上げられた。W杯後に行われた2015-'16シーズンのトップリーグは、1開催平均で過去最高の観客動員を記録した。
ところが、翌シーズンにはおよそ1400人も減った。平均値は'15年以前より高い水準を保っているものの、南アフリカ戦が巻き起こした熱はラグビーがこの国に根付くことにつながらなかった。