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昨年準V、U-20W杯の悔しさを糧に。
西川潤が夏を制して逞しくなった。 

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byTakahito Ando

posted2019/08/06 08:00

昨年準V、U-20W杯の悔しさを糧に。西川潤が夏を制して逞しくなった。<Number Web> photograph by Takahito Ando

エースとして桐光学園を初の日本一に導いた西川潤。試合後はリーグ戦、U-17W杯、そして選手権での活躍を誓った。

「忙しい」なかで見失った自分のプレー。

 昨年からずっと「忙しい高校生」だった。

 桐光学園の10番とU-16日本代表の10番の二足のわらじを履いて、インターハイ、リーグ戦、選手権、そしてAFC U-16選手権、さらにそれぞれに基づく遠征をこなした。そこに年末はU-20W杯へ向けた活動が加わった。

 今年に入ればU-20W杯の本大会と内定を早々に決めたセレッソ大阪の活動が重なった。U-20W杯は6月で終了したが、10月にはU-17W杯がスタートする。

 この中で常にトップコンディションを維持するのは難しいことだった。だが、ストイックな西川は万全ではない自分に対し、100%のプレーを求め過ぎてしまったことで、徐々にイメージとプレーの乖離が生まれた。さらにそこに周りからの注目というプレッシャーが重なって、メンタル的にも苦しんだ時期があった。

楽しさよりも責任を意識したU-20W杯。

「U-20日本代表は上のカテゴリーでやるのが初めてだったので、Jリーグで活躍する選手たちと一緒にやれるのは刺激になったし、楽しかった。それに影山(雅永)監督からもブラジル遠征の時に、『(U-16選手権で獲得した)アジアのMVPとか関係なく、しっかりとお前のプレーを見たくて選んだ』と言われて、それで僕の中でも肩の荷が降りて、『自分の良さを出そう』とか、『この中で自分に何ができるのか見つけよう』とある意味割り切ってやれていた。

 でも、U-20W杯はそういう楽しさよりも、個人の責任によりフォーカスを当ててしまったんです。実際にあの青いユニフォームをもらったら、『日本代表として恥じないプレーをしないといけない』と思いすぎてしまったんです。サッカーに年齢は関係ないけど、そこで思い切ってやろうというメンタリティーには、今振り返るとなれていなかった。責任を負わなければならないという思いの方が強くなってしまった。自分に余裕がなくなってしまって、本当に苦しかった」

 一度崩れたバランスを取り戻すのは簡単ではなかった。

 インターハイの神奈川県予選準決勝の日大藤沢戦でも、彼はプレーに精彩を欠いて存在感を発揮することができず、「やりたいプレーができないというか、思うように身体が動かない部分がある。でもやっぱり自分のやるべきこと、責任はあるので、そう言っていられない自分もいる」と、葛藤を口にしていた。

【次ページ】 「整理」して迎えたインターハイ。

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